井上成美大将の英語塾

画像はWikipediaより。
井上成美
私は知らず知らずのうちに、この英語塾にたどり着いたような気がする。イメージが実現するとしたらこういうことを言うのだろうと思う。詳しくはWikipediaを読んでいただけると良いが、簡単に井上成美大将について語っておこうと思う。
大日本帝国海軍の軍人であり、その見識はとても素晴らしいものでした。英語、イタリア語、ドイツ語、フランス語に通じており、外交官としても十分役立った方です。当時のまさにトップエリートと言っていい。
米国との戦争に断固として反対し続け、殺されかかったこともあります。右翼によるテロの犠牲になった可能性も大いにあるひとである。ごく単純に国力からいって対米戦は不可能。という事を言い続けた人でもある。
有名な山本五十六とコンビを組んで、海軍の航空戦力育成に辣腕を振るった人物です。この二人がいなかったら、多分零戦も実用化しなかったと思う。
この人の特筆すべき内容はやはり、海軍兵学校校長の頃の話であろうと思う。井上成美は太平洋戦争の先が見えていた。敗戦に終わることを海軍高官としてわかっていた。しかし、兵学校の生徒たちは戦士として送り出さねばならない。この苦しみがずっと彼の中に残っていただろうと思うのだ。だから井上は徹底して自分の理想像の海軍士官を作ろうとした。
戦時下ということで外国語の排斥運動が起こり、軍の学校と言えども例外ではなく、海軍兵学校の英語教育も廃止されようとした。しかし、井上は断固反対した。「自国語しか話せない海軍士官など役に立たない」と一喝し、断固として英語教育、普通学をやめなかった。この当時はとても批判の声があった。非常時、戦時に普通学、英語でもあるまい。戦に役に立つ兵隊をいち早く作って送るのだという風潮が日本中に蔓延していたからだ。そこに反対するのは余程の勇気が言っただろうと思う。
このことがわかるのは戦後になってからだ。生き残った兵学校生徒たちは愕然とする。今までトップエリートの卵として優遇されていたのに、戦後になって、白い目で見られるようになったのだ。公職追放もあったし、たちまち食うに困ることになった。でも兵学校生徒たちは誇りを失わなかった。戦後の復興のキーパーソンとして、多くの企業を起こし、いろいろな事をやって日本を復興させたのである。皮肉なことに公職追放によって優秀な人材が解放されたと見ることもできるだろう。
海軍に対する国民のほのかな好感はこういうところからも来ている。企業の歴史などを見ていますと意外なところで海軍士官の存在にぶち当たることがある。学者、研究者などにも多いようだ。
井上成美伝記刊行会-海軍兵学校時代
こちらにも詳しくのっている。
井上はジェントルマンを作ろうとしたのだ。厳しい時代を生き抜くジェントルマンを。ここに激しい闘志を感じる。
戦後世に出ればそれなりの待遇の生きていく事はできただろうと思うのだが、それを潔しとせず、困窮の中で英語塾を開いたのも、彼なりの責任のとり方だったのかもしれない。彼の困窮を救ったのは結局国でも海軍でもなく、芸者たちと、兵学校生徒たちの教え子と部下だった教官たちだった。そして再婚した奥さんだった。モテる男っていうのはこういうことなんだなァと思う。堅物で通っていた井上だが、女性に対して好感を持たれるタイプだったようだ。
イタリア駐在武官だったこともあるようだけど、そこで案外ラテンなノリをみにつけていたのだろうか?苦々しくは思っていたけれど。ギターとピアノをひと通り弾けたようです。とても器用な方だったみたいです。
一枚の進級祝い葉書
お孫さんの丸田研一さんの本も読んでみたいなぁ。

井上成美とは?
こちらもよくまとまっていると思います。



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