自分はスゴイんだという妄想「貧すれば鈍ず」

最近どうにも「自分はスゴイんだ」という妄想が湧き出ることがあり、少し閉口している。それは単に人に縋りたいだけなのか、何なのかわからないが。とにかく妙な精神状態である。それに絶望をくれてやることでどうにか精神状態を保っているような気もする。何とかしなくてはという考え方自体が停滞を生むという矛盾が続いていて、結果的に何も進まない。進まないという思い込み自体が自己評価すら難しくしている。強いていえば「貧すれば鈍ず」なのであるが・・・。
アクセルとブレーキを一度に踏んで、前に進まないような二律背反。
やはり、苦しみがそういう形になって現れているのではないかと思っている。転んだら、土を掴んで立ち上がるのは自分自身なのだ。それはよくわかっている。
ややこしい状態を、ややこしいままとりあえず、まな板においてみる。ぶった切って鍋に放り込む。物事は簡単にするのがなかなか難しいものである。様々な身体的苦痛が、心理状態になって現れ、安全のためロックがかかっていることは確かだ。だから前に進めない。まあ苦しみにもがくこと自体が実は、今の仕事に役だっていなくはないのだけれども。
大きく変化してく時代と自分に、戸惑っていて、変化自体をやめようとしているのかもしれない。そこには潜在的恐怖がある。
森田療法の臥褥期を脱しつつあるのかもしれない。などと思う。不愉快感こそが次へのステップであるのかもしれない。そこへ向かい、ごまかしていたことに直面することが、まずは第一歩なのではあるまいか。
呼吸を整えて、まずは身体をほぐしてみよう。
少なくとも今の自分には必要としてくれる人がいる。そこに活路を見出すことはできるのではないか。

赤いインプレッサ



経管栄養の介護

最近、過去の介護経験を思い出すことが出てきた。
ふと思い出したのは経管栄養の方の介護だ。
実は言うと介護職員は経管栄養の方の介護でできることはかなり限られる。
管がついた部分から水分や、栄養分を補給することは医療行為であり、看護師にしかできない。
だから、介護職員にできるのは、体位交換と排泄介助、入浴、更衣、バイタルチェック位なものである。
私はここから身体介助、とくに排泄介助の基礎を学んだ。
胃ロウから栄養が補給され、排泄されるまでの時間間隔なんかは今で使っている。
胃ロウの人たちをみて曰く、医療資源や税金の無駄使いだと。入口論としては正しいが、今生きているということを評価して欲しい。みんな一生懸命生きている。
そもそも胃ロウというのは嚥下機能が低下したときに一時的にバイパスをつくって、栄養分を補給するためのものである。嚥下機能を回復させる訓練をして、胃ロウを外せるのが理想だ。しかし、現実的には高齢者の場合難しいことも多い。
だが口腔への刺激が無意味な訳ではなく、嚥下機能が回復とまではいかなくても唾液を循環させる位のレベルには、なんとか持っていくことができると思う。現実にも何人かそういう人をみている。
人間の身体は結構融通無碍な所があり、微細な細胞レベルでうまいことやるのかも知れない。
声を出してもらうことは嚥下機能の回復にとても重要な要素である。胃ロウの方が声を出したらチャンスかもしれない。
味のするもので口腔を刺激するのもよいだろう。できることは結構あると思う。決して焦らないことも大事。時間はたっぷりあると思って粘り強くやるしかない。



入所施設に思うこと-ショートスティ時代

2009年12月〜2016年の8月ぐらいまで、私はショートスティ、高専賃だったりサ高住だったりしたところ(未だに分類はよくわからないがとにかく介護保険施設には違いないと思う)と有料老人ホームと経験した。現在はデイサービスで勤務している。たまには思い出してみるのも悪くないと思うのだ。
まず本格的に介護職員として始めたのは、ショートスティからだった。確かもう2010年の1月から夜勤に入っていた覚えがある。ショートスティというのは、高齢者がいろんな事情があって家庭にいられない場合に預かる場所だ。確かオムツは施設持ちだったので、個別のオムツというのはなく、サイズの違いだけであって、施設のものを常に使っていた。ショートスティはそういうものらしい。半分家庭、半分施設というのがショートスティの実態といってもいい。月の半分を施設で過ごす。まあそんなもんだと思えば間違いはない。
緊急性の高いショートスティというのがあって、とにかく預かってくれというパターンも多かった。たとえば、家族が倒れて入院したとか、受け入れ先がまだ決まらない。とか、まあ事情はいろいろである。なので、猛烈な帰宅願望との戦いに明け暮れていたといってもいい。「帰りたい!!」「帰りたい!!」の連続である。話題を逸らして何とかしようと思うものの、それすらも不可能。一晩中追いかけまわされて疲労困憊したことも多々あった。
夜勤、入浴、レク、送迎、食事介助と何でもやった。
早番で来て起床介助をして、食事介助をし、服薬、口腔ケアをやったら、朝礼やって送迎。休憩(気の休まることはなかったが)昼食、入浴介助して、また送迎。
遅番だったら、入ってきた方の荷物チェック、リネン交換、出ていく方の荷物チェック、夜勤と一緒に夕食の介助、臥床介助
夜勤は夕礼の後、夕食の介助をして、みんな寝かしつけたら、定時の排泄介助。記録。翌朝までの安全確保を行う。
日曜日のショートスティでは入浴がなかったために、レクは3回やるハメになった。このおかげで随分レクは鍛えられたと思う。みんな忙しいから、レクの誘導をしたら、他の仕事をはじめてしまうので、自分一人でレクをやって惹きつけなければいけない。これがまた大変なのである。逆に言えばやりたい放題だったわけで、それはそれで楽しいこともあったが・・・。



回転寿司

もはや日本で寿司を食べるには、回転寿司は欠かせないものとなっている。
寿司は日本において2つの方向性に別れた。回る寿司と回らない寿司である。回る寿司とは回転寿司のこと、回らない寿司とは高級な寿司のことである。
寿司はもともとお手軽なファーストフードであった。東京がまだ江戸といわれていた頃は、西部開拓時代のアメリカみたいであり、厳しい自然と戦い、江戸の街を広げていったのである。手近な海産物とコメを組み合わせた食べ物が寿司だった。
江戸前の寿司というのは、江戸の近くでとれた魚で作った寿司という意味である。ずっと江戸の庶民に親しまれていた寿司であるが、東京の都市化が進むにつれ、環境汚染が深刻なものとなり、東京の近くで新鮮な魚がとれなくなってしまった。そこで日本各地や世界中から魚を仕入れる必要があり、寿司の値段はどんどん高騰していったのである。
高級寿司店では値段はわからない。時価である。寿司職人はいいサービスをしたいために、そのお客さんをよく知りたい。なので会員制サービスのような感じになる。高級寿司店には入れることは一つのステータスシンボルなのである。
だがこれでは気軽に寿司を楽しむことができない。そこに目をつけたのが回転寿司である。工場で使用されていたベルトコンベアを利用することにより、寿司を素早くお客さんの元に届けることに成功したのだ。皿の色によって値段は決まっているので、会計は正確だ。皿数と単価をかけ算すれば、すぐに値段が出る。
これは寿司にとって大きな革命となった。庶民が寿司を取り戻したといってもいい。これにより寿司の自動化に成功した。
鮮度の管理も簡単で、皿にのせられた寿司がベルトコンベアのコースを何周かしたら破棄すれば良い。お客さんの入り加減でどれくらい寿司を並べるべきなのかというさじ加減が、また新たな課題となってきている。
お客さんは今までのように、寿司職人にたいして注文することも可能だ。注文された寿司はベルトコンベアにのってあなたのテーブルにやって来る。逆に寿司職人側から、メニューを教えてくれることもある。
高級寿司のサービスを取り入れようとしているのだ。
寿司文化は産業化工業化した日本社会において、このように継承されているのだった。



介護職員の苦悩と自己犠牲

なかなかに介護職員の苦悩については理解され難いものがある。
正直言うと介護というものはすべてオーダーメイドであり、優劣というものをつけようが無かったりもする。だからとても使い捨てになりやすい。経験というものが第一義的に役に立たないのだ。一応私は介護の経験が2009年の12月からあるけれども、それは過去のデータに過ぎず、目の前の方に通用する保障はない。常に新鮮な気持ち、先入観なく望むことが、唯一経験から得られたノウハウである。いきなり自分を否定してかかるところからはじめなければいけないのがまたツラいところである。
でも考えてみればアタリマエのことであって、人の人生なんてそれぞれであるから、それを一つの観点で押し付けてしまうこと自体、傲慢きわまりないことである。時代は常に移り変わっていくのだし、それは高齢者といえども例外ではない。
私は夜勤の暗い闇から逃れ出てきたが、やはり夜のことが未だに気になったりはする。介護施設というのは24時間対応の仕組みになっていない。皆さんそう思っているかも知れないが、完璧な間違いだ。施設は基本的に無法地帯、治外法権といってもいい。その閉鎖的な環境故に様々な事件が起こっている。
そこで力戦奮闘をしてきたつもりだったが、結局それはごく限られた人たちの生活を潤すだけとわかった時、やる気は失せていった。でもまあ30名近い方の命を預かる緊張感は、なかなか得難い体験であったとは思うけれど。
みんな忙しくすることによって何かをごまかしていた。それによって自らの目や耳を塞いでいたのだ。私は夜勤中フロアから離れるということができなかった。怖くてできないのだ。自分が離れた時に何かあったら言い訳できないと思う。だが、何故かみんな離れたがっていた。いろんな業務を作り上げて、夜の闇から離れようとしたのかもしれない。
夜勤は潜水艦同士の戦いに似ている。音を出したほうが負けである。先に発見されてしまうと対応は全て後手後手に回ってしまうからだ。神経を研ぎ澄ます必要があるのだ。それが理解されたことはあまりなかった。
事故が起きないこと。というのはなかなか評価されにくいファクターだからである。何事もない。というのがいかに素晴らしいことなのかを評価できる人は少ない。事故が起きたけど軽やかに解決しました!!みたいな方がかっこよく見えるし、実績として評価されやすい。一番いいのは事故が起きないことなのだが・・・・。
今日もすでに夜が始まっている。時々懐かしく思う。夜勤をやらなくなってそろそろ半年かぁ。
介護の仕事は電気、ガス、水道のインフラに近いものがある。できて当たり前という風潮があり、それを常に要求される。ここが一番のストレスじゃあないかな?
介護職員になるような人は犠牲精神あふれる人が多い。でも一歩間違うと自虐になり、ブラック職場を生む土壌になる。ボランティアをして当たり前みたいな風潮になってしまうのだ。これは由々しき事態である。ものを大事にせず人間すら浪費されている現状こそが、最大の問題点であろうと思われる。



明太子なめたけと中央構造線

英文翻訳をずらずらとやってみたので、たまには日本語のサイトを
妻が、明太子なめたけが食いたいということで、検索してみたら
サンエー明太子なめたけ
がカルディコーヒーファームにあるということで早速保谷のカルディへいってきました。買ってきたのはいいものの、妻が欲していたのはこちらの製品だったようで、また長野まで行く必要がありそうです。

明太子なめたけ稲垣来三郎匠長野県飯田市

多分諏訪湖SAあたりで買ったものじゃないかなぁと思います。なんで諏訪湖までいったかというとあまりに地震が多発するもんですから、中央構造線
をなだめてみようという意味でいってみました。諏訪湖は地質学的に見ても様々な断層が集まる面白い場所みたいで、ここに祈りを捧げることはかなり大事なことなんじゃないかなぁという気がしています。

所沢〜鶴ヶ島〜中央道って感じになりそう。ざっと200キロぐらいのドライブですね。



席を譲るタイミング

JR中央線にて久しぶりに通勤ラッシュの人となったわけなのであるが、介護福祉士という仕事柄、ついつい歩くのが大変だなぁと思う人が目についてしまう。そしてさり気なく、かつ自動的に見守りモードにはいっていることがある。通勤でいつも見かける人っていうのもいる。そういう方を見かけた時に席を譲ることがあるのだが、これって中々タイミングが難しい。やはり乗り込んだすぐに声をかけるのがベストのようである。妻にも聞いてみたことがあるのだけれど、一旦安定した場所を見つけると、移動中に動くのはかえって難しくなるとのこと。見ず知らずの方に介助を受けるわけにも行かず、断るのだそうだ。だからといって悪気があるわけではないので、声を掛けていただくこと自体は、とてもありがたいとのことである。
電車で席を譲る時に断られない方法です

まあ断られてもいいからとりあえず声を掛けてみるっていう文化が根付いていくといいなぁと思うのであった。障害の内容は様々であり、見かけだけではどんな助けを必要としているのかわからないことも多い。だから、そこにはコミュニケーションが必要になってくる。このコミュニケーションこそが最も苦手であり、欠落していたのではなかったか?それがそのまま「バリア」となって身体障害者の不便をもたらしたのではなかったか?私はそう思うのである。
命はそれ自体で価値がある。と私は思っている。子供だろうと大人だろうと障害者であろうと高齢者であろうと男であろうと女であろうと独身であろうと。よく言われることとして、高齢者や障害者は生産性がないから社会にとって足手まといである。という考え方だが、これは実は人材の浪費にほかならない。「足弱は斬り捨てて良し」というのは戦時の発想だ(足弱とは女子供のこと)戦争というごく限られた目的には必要ないから殺してしまっても良い。ということ。再生産を考えていない浪費であることはすぐにわかるだろう。
足弱とはこんな感じ。

経済的な合理性なんて、結局人々の考え方や行動で変わっていってしまう。
日本経済は今異常な状態だ。まともな事業が育たず、浪費ばかりしている。一人一人がいきる意味を見直す必要があるんじゃないか?一番気になっているのは、栄養不足からくる精神疾患である。人間の体が欲する栄養をとれない状態である。それが狂気の原因ではないか?

バリアフリーな助手席プラン

隣に要介助者を乗っけて走っているといろんな改造プランを思い付く。欲しくなるのは回転シートと自動ドアである。
ドアを開けたあとは手すりになってほしいのでバーになるといい。自動でゆっくり開いて障害物を検知したらぶつかる前に止まってほしい。
あける動作より、閉める動作にアシストが必要みたいである。
ポルテみたいなスライドドアも有効であると思う。
シートはその人に応じたクッションを取り外し可能になっているのがベスト。
ふと思ったんだが羽根あげ式のガルウィングはこういう障害者車両にむいてんじゃないかと思った。
はねあげてしまえば障害物はなにもなくなるわけで、介助はやりやすいかもしれない。
電動がいいか手動がいいかはなかなか悩ましい問題だ。介助していると結構電動の遅さにイライラすることもあるしどうもしっくり来ないのだ。これは永遠の課題かもしれない。
ドアを一時的に固定する必要もあるのかなぁ?
我が家のブルーバードは運転席と助手席ちょっと下がっちゃってる。車令19年目だししょうがないんだけれど。