席を譲るタイミング

JR中央線にて久しぶりに通勤ラッシュの人となったわけなのであるが、介護福祉士という仕事柄、ついつい歩くのが大変だなぁと思う人が目についてしまう。そしてさり気なく、かつ自動的に見守りモードにはいっていることがある。通勤でいつも見かける人っていうのもいる。そういう方を見かけた時に席を譲ることがあるのだが、これって中々タイミングが難しい。やはり乗り込んだすぐに声をかけるのがベストのようである。妻にも聞いてみたことがあるのだけれど、一旦安定した場所を見つけると、移動中に動くのはかえって難しくなるとのこと。見ず知らずの方に介助を受けるわけにも行かず、断るのだそうだ。だからといって悪気があるわけではないので、声を掛けていただくこと自体は、とてもありがたいとのことである。
電車で席を譲る時に断られない方法です

まあ断られてもいいからとりあえず声を掛けてみるっていう文化が根付いていくといいなぁと思うのであった。障害の内容は様々であり、見かけだけではどんな助けを必要としているのかわからないことも多い。だから、そこにはコミュニケーションが必要になってくる。このコミュニケーションこそが最も苦手であり、欠落していたのではなかったか?それがそのまま「バリア」となって身体障害者の不便をもたらしたのではなかったか?私はそう思うのである。
命はそれ自体で価値がある。と私は思っている。子供だろうと大人だろうと障害者であろうと高齢者であろうと男であろうと女であろうと独身であろうと。よく言われることとして、高齢者や障害者は生産性がないから社会にとって足手まといである。という考え方だが、これは実は人材の浪費にほかならない。「足弱は斬り捨てて良し」というのは戦時の発想だ(足弱とは女子供のこと)戦争というごく限られた目的には必要ないから殺してしまっても良い。ということ。再生産を考えていない浪費であることはすぐにわかるだろう。
足弱とはこんな感じ。

経済的な合理性なんて、結局人々の考え方や行動で変わっていってしまう。
日本経済は今異常な状態だ。まともな事業が育たず、浪費ばかりしている。一人一人がいきる意味を見直す必要があるんじゃないか?一番気になっているのは、栄養不足からくる精神疾患である。人間の体が欲する栄養をとれない状態である。それが狂気の原因ではないか?

バリアフリーな助手席プラン

隣に要介助者を乗っけて走っているといろんな改造プランを思い付く。欲しくなるのは回転シートと自動ドアである。
ドアを開けたあとは手すりになってほしいのでバーになるといい。自動でゆっくり開いて障害物を検知したらぶつかる前に止まってほしい。
あける動作より、閉める動作にアシストが必要みたいである。
ポルテみたいなスライドドアも有効であると思う。
シートはその人に応じたクッションを取り外し可能になっているのがベスト。
ふと思ったんだが羽根あげ式のガルウィングはこういう障害者車両にむいてんじゃないかと思った。
はねあげてしまえば障害物はなにもなくなるわけで、介助はやりやすいかもしれない。
電動がいいか手動がいいかはなかなか悩ましい問題だ。介助していると結構電動の遅さにイライラすることもあるしどうもしっくり来ないのだ。これは永遠の課題かもしれない。
ドアを一時的に固定する必要もあるのかなぁ?
我が家のブルーバードは運転席と助手席ちょっと下がっちゃってる。車令19年目だししょうがないんだけれど。