ケアラーになって、得たもの、失ったもの

気づけば私はケアラーだった。
英語版
アムラーでもベムラーでもオイラーでもなく、ケアラーというらしい。
日本ケアラー協会というのもあるらしい。
ケアラーというのは、日常生活で身近に介護が必要な人がいて、それを支える人たちのことを言う。どうやら私はケアラーであるらしい。それを気づかせてくれた人がいる。大変にありがたい。
ケアの中身に関しては語ることはできない。プライバシーに属することだから。でも公開できる範囲で語ってみようか。このプライバシーの壁が、ケアラーを追い詰める一つの要因ではある。見た目は普通に見えるから。普通に見えるようにケアに没頭せざるを得ないということかもしれない。長い長いケア人生が転換を迎えてから15年になる。これは私の職業人生とほぼ重なる。いつからケアラーになったのかは、実はあまり明確ではない。19歳頃のような気もするし、そうでない気もする。家族におけるバランサーとしての役割が、そのままケアラーへの道をいつの間にか開いていた。ということは言えるだろうと思う。

「私の普通は、世間の普通じゃなかった。」

ということ。家族での役割に消耗し続けていて、まともな就職ができなかった。一旦就職はしたのだが、1年ちょっとでやめた。向いてなかったし、仕事に情熱を持てなかった。すでにエネルギーがなかった。これは単なる言い訳であるかも知れない。社会に出れば家族を振りきって就職することもできたのだから。でも私はそれができなかった。これがケアラーであったことの最初のマイナスであるだろう。それは今で尾を引いているのではあるが、やむを得ない。
15年前、妻との出会いがあった。どうしようもなく落ちぶれた25歳の私と妻の出会い。そこからゆっくりゆっくりと変わっていったように思う。何しろ何をするにも時間がかかる。それが結果として、自分の心を変えていったのだろうと思う。

一旦は社会福祉法人の臨時職員として、知的障害者の支援員をやった。結構楽しかったが、給料が安いし、あくまで一時的なものであって、ちゃんとした就職先を探すまでのつなぎだよと言ってくれた。だから、私はそこからチャレンジをしてみた。結果としては失敗した。非正規雇用としての傭兵稼業であったから、いかに結果を出しても仕事がなくなればクビである。2009年のリーマン・ショックで、あえなく契約切れとなった。あいかわらず、なんの保障もない。ケアラーはお金がない。致命的に不足している。これはやはり、つまるところ社会の理解がないということになるだろう。

そこから介護の仕事を8年半ほど勤務して、今に至る。職場は変わっている。今の職場は3つ目である。

曲がりなりにも、介護の仕事を続けているのはケアラーとしてのベースがあるからだろうと思う。歩行介助ひとつとっても、外出時のバリアフリールートを考えるにしても、毎日のようにやっているから、介護の仕事だけをしている人とは差が出る。でも職場でえられたノウハウも家で使えるから、それはそれで助かることもある。これはプラスに考えていいことだ。15年もたつと、いろいろな変化がある。バリアフリーの設備も、世間の反応も。それを如実に感じることがある。

ケアラーにとって必要なものは、やはり、ケアをしながら稼ぐことができる仕事の存在じゃないかと思う。バリアフリーの設備はだいぶ整ってきたので、「金で解決」できることは結構多い。でも今の日本のシステムでは、メンバーシップに参加できない人間は自動的に排除される。日本は巨大なムラ社会と言われる所以である。つまり最初から村八分なのである。世間一般では私は既にいないことになっている。それはそれで快適なこともあるが、やはり困ることもある。この国の福祉制度は家族がケアをすることが前提になっている。それが利用しづらいサービスしかない最大の原因だろうと思う。単なる家族というイデオロギーがあり、それに反するものはすべて自活せよということが、ケアラーの窮状を生んでいるとは思う。

福祉制度は役所だから申請主義でありSOSを出さねば何も動くことはない。これもまたケアラーを苦しめる要素である。いかなる不利を被っていたとしても、訴えがなければなかったことになる。これは散々に手こずらされた。たとえ孤独死したとしても、異臭が発して、近所からの訴えがない限り放置される。特に壮年期の男性はこの国の福祉制度の範囲外にある。野垂れ死にする自由があるということかも知れない。

ケアラーは容易に、排除され孤独なエアポケットに入ってしまう危険がたくさんあるということなのだ。だからこそ、その取り組みは、慎重に行っていく必要があるとは思っている。
私の人生は折り返し点をむかえた。その行く先にはダブルケアが待っている。これは動かしようがなく、かつ、確実性の高い未来だ。すべてを捨てて逃亡するか、死ぬかしない限りやってくるだろう。なるべく適切な準備をして当たりたいものだ。と思ったら始まっているかも知れないってのが、ダブルケアの偶発性かもしれない。

犠牲者として人生を終えるのか、充実して見送ることができるのか。それはこれからの行動にかかっている。

そんな静かな覚悟を、新月の朝にしてみた。