厳しい介護現場で戦っている仲間たちへ

24時間365日介護をし続ける現場から離れてほぼ一年が過ぎた。

でもその6年半のキャリアは今の介護を支えてくれている。というよりは関わったすべてのご利用者から得られたものが、私を支えていると言ってもいい。
給料も出ないかも知れない、休みも取れないかも知れない。でもあなたの前には助けを必要としているご利用者様がいる。その方に自分が何ができるのか。そして何ができたのか。何ができなかったのか?
つまるところそれだけだったりする。職場の評価も、同僚の視線も何も関係ない。それを強く持てるかどうかで、介護の仕事を続けられるかどうかが決まる。現場を離れた人間には何も関係ない。上司であろうが、管理職であろうが、同じことである。あなたのケアだけが、あなた自身と、あなたの前にいるご利用者様を支えているのだ。

あなたの誠意にも関わらず、罵詈雑言を浴びることもあるだろう。でもそれは恐怖から来る悲鳴だ。よく観察して自分と相手の安全確保をして落ち着かせればいい。最低限自分の身を守ること。何に恐怖を感じているのかがわかれば、対処の道筋が見えてくる。

そこを乗り越えれば、そのご利用者様との信頼関係を一歩進めることができる。これは同僚や上司でも同じだ。だって同じ人間だもの。

待遇や体力的な問題から、介護現場を離れる時というのは必ず来ます。どんなに信頼関係ができたご利用者様であっても、それは同じ。たった今行った何気ないケアが最後になることだってあります。そう思うといい加減なケアはできないのではないかと思う。

無茶苦茶な業務量を押し付けられ、安全確保、生命維持が精一杯という現場であっても、問われるのは自分自身のケアであり、それだけが自分を支えてくれるし、活路を開くきっかけになるんです。だから1つだけでもいい。誰も見てなくてもいい。えこひいきでもいい。そのご利用者様を笑顔にしてあげて下さい。すべてはそこから始まります。

すべてはあなたの手のなかにあります。楽しいケアをつかみとるのはあなた自身です。

介護職員の給与は猛烈な格差社会


私の最後の夜勤を見守ってくれたのはこの花束だけだった。
これは同僚が最後の夜勤の入りの時に送ってくれたもの。
そう「夜勤入り」の時に手渡されたものだった。
一般的な礼儀感覚ならおかしいと思うだろう。普通は退職者に贈り物をするのは勤務が終了したタイミングだ。これから最後の仕事をする人間に普通は渡さない。ましてや夜勤だ。普通なら、夜勤明けの時に渡すだろう。
最終勤務日はほとんど挨拶で終えるっていうのが、円満退職っていうんでしょう?まあ円満退職じゃなかったからしょうがないんだけど。

これから20時間近く過酷な勤務をすることがわかりきっている人間に対して、花束を送る。こんなトンチンカンな対応には正直苦笑せざるをえなかった。私にしてみれば入所施設の介護職としての最後の夜勤。こんなことでかき乱されるようじゃいけない。最後の夜勤はしっかりやっていこうと思い直した。花束はバケツに入れてロッカーで待機していただき、翌日昼食配膳までの過酷な夜勤に向かったのだった。
話を聴いてみると、花束を贈るケアマネが「夜勤明けにはいないから」だそうである。誰かいるんだから、花束渡すのを頼めばいいのに・・・。別に私は誰でもよかったよ。っていうか事務の人のほうが仲良かったし。男のケアマネから受け取るより、女性事務員さんのほうが嬉しかったのだが・・・。

花束はちゃんと持って帰り、枯れるまでずっと家にありました。花束には罪はないので、しっかり最後を見届けようと思いました。

最後の夜勤明けだったか、その一つ前だったかは覚えていないけれども他の同僚たちが、何やら玄関先で楽しげに集合写真をとっているのが見えた。あとで確認してみたら、職員募集のための写真だった。その背後で、苦しい夜勤をずっと続けていた私がいたのだった。今思えば、そ知らぬ顔をして写ってやりゃあよかったな。そのときはそんな元気はなかったが、いい写真になったのに。まあ写っていてもその写真は排除されただろうけど。
この光と影は、もはや喜劇としか言いようがない。私はこの有料老人ホームにおいて、事故を起こさない介護ロボットに過ぎなかったのではないだろうか?便利だから使い倒され、壊れたから排除された。ただそれだけの事だったのだろう。人間というのは組織にどっぷり浸かるといくらでも極悪非道で非人道的なことを笑顔でできるといういい例ではないだろうか。

やめた直接のきっかけは、申請した有給休暇を却下したことだった。いつ休めるかということでさえ提示しなかった。
「それはリーダーにいってください」だそうである。
頭にきたので、朝礼後すぐに施設長のSをつかまえ、声を荒らげてやめるといってやった。最後に「じゃあな!」といったらS施設長が
「それが上司に対する言葉遣いですか」といったので、
「あなたは上司のつもりか?ろくに仕事もしていないのに」
といってあげました。あとはくだらないので適当に相手したあと勤務に戻りました。その上司の事業部長にはすぐ連絡しました。するとS施設長もすぐに連絡したらしく、(そういうことだけ速い)事情は理解していました。事業部長はきちんとした方で、こちらの言い分も聞いて下さり、
「私としては有給取れるかどうかはどうでもいいです。リーダーの組むシフトに従います。退職日は変わりません。」といった。
現場のリーダーは結局私抜きでシフトを組んで下さり、有給消化する形で退職することができた。正直どっちでも良かったっちゃあ良かったんだけど。

正直今も頑張っている人間には申し訳ないと思う気持ちもある。でも、それじゃあダメとも思う。そのために、今一度振り返ってみようと思うのだ。このまま流されていいことでもない。

去年の今ごろ、大企業介護職正社員として、果てしない消耗戦に引きずり込まれ、肉体も精神も無茶苦茶であり、奴隷に等しい待遇だった。本当に人権無視だった。

それでも多くの介護職員看護職員は、みずからの良心にしたがって、ぎりぎりのところで利用者の命を守っていた。守りきれなかった命もある。でも高齢を理由に見なかったことにしてた。訴訟になれば責任をとわれたかもしれない。そんな事例もあった

ではなぜこんなことが起きてしまったのだろうか?

この有料老人ホームの施設長にご登場頂こう。彼の名前はSという。私が中途採用で入ったのだけれど、なぜか私を採用した施設長は退職し、施設長はケアマネだったSが施設長となった。最初のうちは、急な起用ということで同情が集まったのであるが、たちまち能力不足と努力不足が露呈し、施設の統制は無茶苦茶になった。

この有料老人ホームは定員100名、24時間看護師常駐を売りにするホームであったが、入居率は80%程度。常に空室が生じている状況だった。

時々、入居があって一旦数字が盛り返すものの、退去される方が多く、しょっちゅう営業が来ていたが、なかなか定着することがなかった。死亡される方も多かった。

このような状況下において、S施設長は何かがおかしかった。まず一番おかしいと思うのは、ご利用者様が入居された時に一度も挨拶に来たことを見たことがない。これだけは正直許せなかった。入所施設においては本当に人生において最後の重大な決断をして入ってくる場合がほとんどである。その大事な日に、一度も挨拶に来ない施設長って一体なんなのだろうと思った。いくら100人定員の有料老人ホームとはいえ、入居はそうしょっちゅうあることじゃない。一ヶ月に数件あるぐらいだろうと思う。それでもかなり多いほうだ。なのにスケジュールを合わせてほんの30分でも挨拶に来れないのはその気がないとしか思えなかった。

一週間ハワイ旅行に出かけてしまったが、それでも施設の運営には何ら支障がなかったことを考えると、この施設長は名目上のものでいてもいなくても変わりがないのでクビにしたほうが良かったと思う。給料がもったいない。はっきりいって問題が山積みであり、施設の存続自体あやうく その自覚は全くなかった。

自分の言うことを聞く人間だけ、人事評価を上げて優遇し(でもこき使われているので大変そうだった)自分の言うことを聞かない人間(私のような人間)は徹底的に無視し、なかったことにする。そしてひたすらに減給をすることで収益を上げていく。

夜勤で休憩を取ることはできなかったが、それは個人の素質の問題らしい。他の事業所でもそう言われるらしいから、会社の公式の回答みたいだ。休憩が取れないのはその人の能力が劣っているからということらしい。他のフロアを補いながら、休憩を取るのが普通なのだけれど、いきなり研修もなしに、ぶっつけ本番で他のフロアに入るのは危険極まりないと思ったので、心の中で手をあわせて、なんとか自分のフロアを守るのが精一杯だったのに・・・。

こういう状況下では結局自分が、高齢者に対して何ができたのかが問われると思う。会社の評価なんてどうでもいい。そもそもまったく見ていないのだから評価なんかしようがない。
S施設長は管理職として基本的なスキルがそもそも欠如していたにもかかわらず、その地位にある。というのが最大の問題点でありましょう。適任者がいないのなら、施設そのものを解体してもいいと思う。コストがかさむ一方なのだから。

追記:8月1日を持って施設長は交代した模様。これで矛を収めるとしましょうか。もう無関係だし。とはいってもブツブツ文句言ってるかもしれないけど。まともなケアマネが戻ってきたようだし、少しはマシになるかな。大変だとは思うけど。



時給1000円介護施設職員の憂鬱

分かりやすく、介護職員の時給を1000円としてみる。夜勤が長引いて、24時間勤務になったとする。往々にしてよくあることである。そうすると、一勤務あたり2万4000円となる。そんなキチガイ勤務は一ヶ月に10回が精一杯なので、人件費は24万円用意する。それ以上増えることがないお得な定額パックだ。これで後は好きな金額で労働基準法にあうように計算すればいい。そもそも労働時間と休憩時間の定義すら曖昧なので、いくらでも額面の操作は可能だ。残業代を支払ったことにすればよい。勤務評定下げて、時間あたりの単価を下げれば、どんなに働いても24万円に収まるだろう。残業が多いのは生産性が低いからだといい放てばいい。
一ヶ月あたりの労働時間は240時間だから、法廷労働時間の176時間を引けば、残業は66時間。過労死ラインを下回るので、合法である。書面上、残業代が支払われていれば、誰も気づかないし、労働基準監督署も動きようがない。
実際上はここまで働けるタフな人間はほとんどいないから、もっと人件費は削ることができる。これがなんと管理監督者のインセンティブとして働く。介護職員を安く、奴隷のように働かせることのできる人間がドンドン給料が上がり、有給休暇をとって海外旅行へ行ける訳なのだ。
こんな介護施設では、利用者を減らさないためになるべく定員一杯まで詰め込み、ただ生かすだけになる。そんなものはケアとは呼べない。

処遇改善交付金があっても、介護報酬は減ったので、結局のところ介護職員の手取り給与は増えなかった。かえって減った例すらある。余計な書類仕事が増えて職務が停滞し、事務員の仕事が増えただけに終わった。
処遇改善交付金を誰に分配は各事業者に委ねられているから、いうことを聞くイエスマンに分配し、後のどうでもいい介護職員の給料は下げられる。
キャリアパス要件があるじゃないか?といわれるかもしれない。大抵の場合研修に参加することで、キャリアパス要件を満たすという仕組みになっているのだが、ほとんどの介護職員は現場が人手不足なので研修には参加できず、能力以前に昇給の機会がない。
つまりは出来レースであり、管理者が可愛がっているイエスマンだけ見せかけの研修を受けて昇給する。そういう人間だけが現場を踏み台にして出世して高い給料をもらっていく。

時給1000円の介護職員には昇給はない。減給と自己都合によるクビがあるだけなのだ。



無法者の長い夜。

夜勤って長くて大変ですね。と言われることがよくあるんですが、感覚的には「時間が足りない」と思うことのほうが多かったです。なぜかというとやることがいっぱいあるからです。
まあ大体夜勤の流れというのはこんな感じです。
15:30〜16:00 日勤からの申し送り
16:00〜17:00 見回り、夕食の準備 夕刊なんかを持ってきて配る。この時に大体の様子を見ておくとスムーズ。
17:00〜19:00 夕食誘導、介助、服薬、口腔ケア 臥床介助
19:00〜21:00 眠前薬、一回目の巡視 場合によっては少し休憩できるときもある
21:00〜23:00 コール対応 排泄介助一回目
23:00〜01:00 種々の作業を行う(洗濯とか翌日の準備とか湯冷ましなんかも作っておくといい)
01:00〜03:00 一番静かな時間ではあるが、疲れも出てくる時間。記録なんかはこの時間でまとめておかないと間に合わない
03:00〜05:00 コール対応 排泄介助二回目 ここが最終防衛ライン。ここで大体夜勤の出来不出来が決まってしまう。
05:00〜07:00 嵐の起床介助。コール対応しつつ全員を起こしていく。
07:00〜09:00 早番到着。朝食介助をしてほぼ終了が見えてくる
09:00〜10:00 まあ見守りぐらいならしててもいいけどさ・・・。意識は朦朧としています。
一見余裕が見えるかもしれませんが、常にコール対応があるので、それに対しての構えを忘れることはできません。落っことしたら夜勤者の責任です。意外と危ないのがリーダークラスの夜勤。他に仕事を抱えていて、夜勤中にやろうとしてフロアを離れていることが多く、また誤魔化能力にも長けているので、一見発覚しませんが、後でえらいことになっていることもあります。私は意地でもフロアを離れることはしませんでした。
一番いやだったのは、残業だかなんだか知らないけどバカ大声を上げて事務所で盛り上がっている人たち。私は施設長だろうがなんだろうがそういう人がいたら注意しました。だってご利用者様が数メートル先で寝ようとしているのに馬鹿騒ぎで起こされてはたまらないからです。仕事が終わった解放感で盛り上がるのはよそでやってくれと言いたかったです。夜勤者はここからが本番なんだから・・・。それと同様に、夜勤明けに仕事を申し付ける人がまあ多いこと多いこと。二日酔い同然で意識が朦朧としてるんだから何言われてんだかわからん状態なのよ?そういう人達に日勤帯の業務を手伝わせるのはいい加減にしろと言いたくなりましたね。
夜勤明け残業がなければ回らない現場はどうにかして欲しいです。夜勤者は大抵の場合、全てのケアができる人が多いから、頼りにされるんでしょうけれど・・・。そんな延長戦は勘弁して欲しい・・・。なんてことをつい8ヶ月前までやってたんですなぁ。前日から延長戦が決まっていると、夜勤はとてもしんどくなります。朝までがんばろうってのが昼までになるわけで・・・。
こういう事態はほとんど明るみに出ません。わかっていて黙っているのはもっと悪質だと思います。夜勤なしとかいう求人を見ているともっとゲンナリします。そんな人しか来ないんでいつまでも夜勤がキツイんです。16時間の夜勤は楽ではないですけれど、きちんと体制が整っていれば、別にそれ自体が劣悪なわけではありません。昼夜逆転が放置され続けているとか、1時間に1回呼び続けることが日課になっている人とか、そういうことが何ら対策をされず放置されていることが問題なんです。最低限びしっと時間に終わっていれば、まあ何とかなるのですが。
現行の労働法にも問題があります。変形労働時間制においては一ヶ月176時間となっていればよく、その気になれば月12回の夜勤を定義することができます。一回の夜勤を14時間半とし、12回。1時間半をごまかしてしまえば万事解決という鬼のようなシフトを組んでも合法なのです。ああ、休憩時間をとったことにして実質的な拘束時間を増やす手だってありましたね。それで18時間拘束なんてザラです。場合によっては20時間拘束ぐらいになってたんじゃなかったじゃないでしょうか。
私は夜勤9回をやったことがあります。入、明、入、明、休、早、入、明、みたいなシフトになってとてもきつかったです。
まさに介護施設の夜は無法地帯なんです。毎日日本中の夜にこれが繰り返されていることをもっと知ってほしいと思います。



コール頻回の夜明け

高齢者介護をやっていると、訴えの多い方というのに遭遇することはよくある。Fさんもそんな一人だった。しょっちゅうしょっちゅうコールが鳴り、「痛い、布団を直して欲しい、トイレにいきたい」などなど大変だった覚えがある。でも私は好きだった。コール頻回にはいろんな原因があるが、やはり身体の不自由さから出てくるものがほとんどであろうと思う。
私はFさんが好きだったので、コール頻回でも、まあいつも同じように対応していた。なので
「あなたはいつも対応が変わらないねぇ」などとお褒めに預かることもあった。
とても頭は冴えておられる方で、いろんな話をしてくれた。写真が好きだったようで、お部屋にはたくさんの写真があり、出かけた先の話で花が咲いていた。
ある日夜勤を終えて、引き継ぎを終え、残りの記録を書いていた時だった。
その時、Fさんのコールが鳴った。行きたい気持ちもあったが、正直夜勤で疲れていたので、日勤に任せようと思った。しばらくコールがなって止まったので私は対応したのだと思い記録を書き続けていた。
・・・・でも、誰も行っていなかったのである・・・・。
状況としてはトイレから車椅子に乗り移ろうとして、ずり落ちていた。とりあえずトイレに座らせて、終わったあとにFさんがコールを鳴らした時にぶち切りして誰も行かなかったのであろう。
「これじゃあ、死んでても誰も気づかないんだね」
この言葉がとても私は辛かった・・・。その状況自体想像できていたのだから。自分がしっかりやっていたつもりなんて自信は消し飛んだ。夜勤が終わったことなどどうでもよくて自分がいって対応すればよかった。その時はそう思った。正直悔しかった。(夜勤明けが行かなければならなかったという事自体チームケアが崩壊してるが)
この日から、本気でケアに取り組むことにした。できる限りのことをやる。そこから約1年ぐらいだっただろうか。Fさんは息を引き取った。最後にやったケアはパット交換だったことを覚えている。なんかわからないけど、そうした。それが私にとっての別れの挨拶であったのかもしれない。
たしか私の夜勤入りの日の午前10時ごろだったと思う。私がいつものように夜勤で入ってくると、同僚から
「Fさん亡くなったよ」と伝えてもらった。あの時コール対応できなかったことを許してくれただろうか?

なかなか排泄がうまく行かなくて「また、(お腹に)だまされた」とかいってたっけかなぁ。
いつも一生懸命車椅子動かしてたっけ。寒がりで、布団はいつもモコモコになっていて、かける順番があるんだよね。
足さすったり、湯たんぽ入れたりしてたなぁ。少しは立てたけど、一生懸命手すりつかまってた。
お風呂は好きだったね。食パンは牛乳とコーヒーを混ぜて食べてた。あのセットを作るのが、キッチン担当の仕事。
歌を唄うのも好きだった。よく一生懸命歌詞カードめくってましたっけか。
夜間巡視に行くと、気配を察するのがうまくて、一回りして一番遠い場所辺りで呼ばれるのが定番だったなぁ。

Fさんのケアは、その後の私のケアの中核をなしていることは間違いない。



お風呂が焚けてない!!

新人介護職員だった私がやらかした思い出。このことを知っている人はあんまりいないと思うけれど。ショートスティの早番を始めたばかりのころ。私はミスをやらかしました。当時のショートスティはデイサービスとショートスティでお風呂を共有しておりまして、午前中はデイが入浴、午後はショートの入浴と決まっておりました。そこでショートスティの早番が、朝来たらお風呂のお湯を温めておくというルールになってましたが、スカタンだった私はそれをすっかり失念し、早番の作業に取り組んでおりました。
朝食介助も終わりほっと一息ついた8時半ごろでしたか・・・。デイの方から悲鳴が
「お風呂がたけていない!!、どーすんだ!!」
入浴予定はデイとショートあわせると30人ぐらいいたと思う。ショートはともかく、デイはその日のうちに入浴しなくてはいけない・・・・。とまあ大騒ぎに・・・・。
その当時の施設長以下全員パニックに・・・。あういう時ってわけがわからなくなりますね。何やらキッチンでお湯を沸かしてバケツリレーとかやってました。水の量が多いですから、おそらくは一回水を抜いて、沸かしながら入れたんではないかと思うのですが、デイの皆さまには本当にご迷惑をお掛けしました。
その騒ぎがはじまった時、途中で「あ、私だ」と思いましたが、その時は言えませんでした。
しかし、全てが終わってみんなが
「あーあ大変だった」とまあ多少和んだ時に
「実は・・・申し訳ありませんでした!!」と最敬礼して謝った時
みんな笑い泣きしておりました。あの時のなんとも言えないオチのような雰囲気は今でも時々思い出すことがあります。
でもまあ何とかしてみんなでご利用者様をお風呂に入れようとしていたということだったんだろうと思います。
当時の施設長は結構気性の激しい人だったんですが
「あんたは優しいからなあ、スィッチをひねるのがちょっと甘かったんや」というフォローで何事もなく納めてくださいました。
あの時の施設長以下ご迷惑をお掛けした皆さま、本当に申し訳ありませんでした。
教訓「スィッチの入れ忘れには気をつけましょう」
それ以来、私はお風呂のスィッチを入れるときにはわざわざ浴場までいって動いているのを確認するようになりましたとさ。



自分はスゴイんだという妄想「貧すれば鈍ず」

最近どうにも「自分はスゴイんだ」という妄想が湧き出ることがあり、少し閉口している。それは単に人に縋りたいだけなのか、何なのかわからないが。とにかく妙な精神状態である。それに絶望をくれてやることでどうにか精神状態を保っているような気もする。何とかしなくてはという考え方自体が停滞を生むという矛盾が続いていて、結果的に何も進まない。進まないという思い込み自体が自己評価すら難しくしている。強いていえば「貧すれば鈍ず」なのであるが・・・。
アクセルとブレーキを一度に踏んで、前に進まないような二律背反。
やはり、苦しみがそういう形になって現れているのではないかと思っている。転んだら、土を掴んで立ち上がるのは自分自身なのだ。それはよくわかっている。
ややこしい状態を、ややこしいままとりあえず、まな板においてみる。ぶった切って鍋に放り込む。物事は簡単にするのがなかなか難しいものである。様々な身体的苦痛が、心理状態になって現れ、安全のためロックがかかっていることは確かだ。だから前に進めない。まあ苦しみにもがくこと自体が実は、今の仕事に役だっていなくはないのだけれども。
大きく変化してく時代と自分に、戸惑っていて、変化自体をやめようとしているのかもしれない。そこには潜在的恐怖がある。
森田療法の臥褥期を脱しつつあるのかもしれない。などと思う。不愉快感こそが次へのステップであるのかもしれない。そこへ向かい、ごまかしていたことに直面することが、まずは第一歩なのではあるまいか。
呼吸を整えて、まずは身体をほぐしてみよう。
少なくとも今の自分には必要としてくれる人がいる。そこに活路を見出すことはできるのではないか。

赤いインプレッサ



経管栄養の介護

最近、過去の介護経験を思い出すことが出てきた。
ふと思い出したのは経管栄養の方の介護だ。
実は言うと介護職員は経管栄養の方の介護でできることはかなり限られる。
管がついた部分から水分や、栄養分を補給することは医療行為であり、看護師にしかできない。
だから、介護職員にできるのは、体位交換と排泄介助、入浴、更衣、バイタルチェック位なものである。
私はここから身体介助、とくに排泄介助の基礎を学んだ。
胃ロウから栄養が補給され、排泄されるまでの時間間隔なんかは今で使っている。
胃ロウの人たちをみて曰く、医療資源や税金の無駄使いだと。入口論としては正しいが、今生きているということを評価して欲しい。みんな一生懸命生きている。
そもそも胃ロウというのは嚥下機能が低下したときに一時的にバイパスをつくって、栄養分を補給するためのものである。嚥下機能を回復させる訓練をして、胃ロウを外せるのが理想だ。しかし、現実的には高齢者の場合難しいことも多い。
だが口腔への刺激が無意味な訳ではなく、嚥下機能が回復とまではいかなくても唾液を循環させる位のレベルには、なんとか持っていくことができると思う。現実にも何人かそういう人をみている。
人間の身体は結構融通無碍な所があり、微細な細胞レベルでうまいことやるのかも知れない。
声を出してもらうことは嚥下機能の回復にとても重要な要素である。胃ロウの方が声を出したらチャンスかもしれない。
味のするもので口腔を刺激するのもよいだろう。できることは結構あると思う。決して焦らないことも大事。時間はたっぷりあると思って粘り強くやるしかない。



入所施設に思うこと-ショートスティ時代

2009年12月〜2016年の8月ぐらいまで、私はショートスティ、高専賃だったりサ高住だったりしたところ(未だに分類はよくわからないがとにかく介護保険施設には違いないと思う)と有料老人ホームと経験した。現在はデイサービスで勤務している。たまには思い出してみるのも悪くないと思うのだ。
まず本格的に介護職員として始めたのは、ショートスティからだった。確かもう2010年の1月から夜勤に入っていた覚えがある。ショートスティというのは、高齢者がいろんな事情があって家庭にいられない場合に預かる場所だ。確かオムツは施設持ちだったので、個別のオムツというのはなく、サイズの違いだけであって、施設のものを常に使っていた。ショートスティはそういうものらしい。半分家庭、半分施設というのがショートスティの実態といってもいい。月の半分を施設で過ごす。まあそんなもんだと思えば間違いはない。
緊急性の高いショートスティというのがあって、とにかく預かってくれというパターンも多かった。たとえば、家族が倒れて入院したとか、受け入れ先がまだ決まらない。とか、まあ事情はいろいろである。なので、猛烈な帰宅願望との戦いに明け暮れていたといってもいい。「帰りたい!!」「帰りたい!!」の連続である。話題を逸らして何とかしようと思うものの、それすらも不可能。一晩中追いかけまわされて疲労困憊したことも多々あった。
夜勤、入浴、レク、送迎、食事介助と何でもやった。
早番で来て起床介助をして、食事介助をし、服薬、口腔ケアをやったら、朝礼やって送迎。休憩(気の休まることはなかったが)昼食、入浴介助して、また送迎。
遅番だったら、入ってきた方の荷物チェック、リネン交換、出ていく方の荷物チェック、夜勤と一緒に夕食の介助、臥床介助
夜勤は夕礼の後、夕食の介助をして、みんな寝かしつけたら、定時の排泄介助。記録。翌朝までの安全確保を行う。
日曜日のショートスティでは入浴がなかったために、レクは3回やるハメになった。このおかげで随分レクは鍛えられたと思う。みんな忙しいから、レクの誘導をしたら、他の仕事をはじめてしまうので、自分一人でレクをやって惹きつけなければいけない。これがまた大変なのである。逆に言えばやりたい放題だったわけで、それはそれで楽しいこともあったが・・・。



回転寿司

もはや日本で寿司を食べるには、回転寿司は欠かせないものとなっている。
寿司は日本において2つの方向性に別れた。回る寿司と回らない寿司である。回る寿司とは回転寿司のこと、回らない寿司とは高級な寿司のことである。
寿司はもともとお手軽なファーストフードであった。東京がまだ江戸といわれていた頃は、西部開拓時代のアメリカみたいであり、厳しい自然と戦い、江戸の街を広げていったのである。手近な海産物とコメを組み合わせた食べ物が寿司だった。
江戸前の寿司というのは、江戸の近くでとれた魚で作った寿司という意味である。ずっと江戸の庶民に親しまれていた寿司であるが、東京の都市化が進むにつれ、環境汚染が深刻なものとなり、東京の近くで新鮮な魚がとれなくなってしまった。そこで日本各地や世界中から魚を仕入れる必要があり、寿司の値段はどんどん高騰していったのである。
高級寿司店では値段はわからない。時価である。寿司職人はいいサービスをしたいために、そのお客さんをよく知りたい。なので会員制サービスのような感じになる。高級寿司店には入れることは一つのステータスシンボルなのである。
だがこれでは気軽に寿司を楽しむことができない。そこに目をつけたのが回転寿司である。工場で使用されていたベルトコンベアを利用することにより、寿司を素早くお客さんの元に届けることに成功したのだ。皿の色によって値段は決まっているので、会計は正確だ。皿数と単価をかけ算すれば、すぐに値段が出る。
これは寿司にとって大きな革命となった。庶民が寿司を取り戻したといってもいい。これにより寿司の自動化に成功した。
鮮度の管理も簡単で、皿にのせられた寿司がベルトコンベアのコースを何周かしたら破棄すれば良い。お客さんの入り加減でどれくらい寿司を並べるべきなのかというさじ加減が、また新たな課題となってきている。
お客さんは今までのように、寿司職人にたいして注文することも可能だ。注文された寿司はベルトコンベアにのってあなたのテーブルにやって来る。逆に寿司職人側から、メニューを教えてくれることもある。
高級寿司のサービスを取り入れようとしているのだ。
寿司文化は産業化工業化した日本社会において、このように継承されているのだった。