マタニティーハラスメントはなぜ起きるのか?

妊娠出産をめぐるマタニティーハラスメントが跡を絶たない。これにはいくつかの原因がある。まず第一に、日本の企業組織は計画性のない人事が横行していること、属人的な業務だらけで、代わりがいないことが挙げられる。
それと根本的な勘違いとして、妊娠出産を人間がコントロールできると思い込んでいるところに最大の原因がある。生命に対する畏敬の念が失われているのである。
人にもよるだろうが、産休で抜けるなんてことはせいぜい1年か2年だろう。その程度のスケジューリングでさえ、今の日本企業ではできない。仕事を抜ければすべてが終わる。クビになるだけである。恵まれたホワイト企業ならば、そんなことはありませんと人は言うかもしれない。でもそれはブラック企業や組織によって支えられた結果かもしれない。次世代の育成というのは、社会を構成するすべての人たちが影響を受けることであるのに、自分たちだけ恵まれているというのはおかしいだろう。その場しのぎの考え方しか持っていない証拠である。
それと誰もが子供を作るとは限らない時代になっているので、子供のない人たちにとって見れば、なぜ人の子供のために自分たちが犠牲にならなくてはいけないのかという問いに応えることができない。これもマタニティーハラスメントを生む原因の一つだろう。
子育てしているグループと、子供のないグループとでは、断絶がある。これすらも意識していない人がほとんどだろう。結果的にはいかなる人間も次の世代に世話になることは確実なのであるが、なかなかそれは実感しにくい。子育て世代にとって見れば、独身男性なんかは、犯罪者予備軍としてしか見られていないだろう。独身男性としてもそう見られるのであれば、子育てしている人とは距離を置こうとする。子育て世代と、子どものない人間との間に伝え合う言葉が存在しないのだ。
この断絶を埋める作業をしなくてはいけない。子育てグループが子供のないグループに対して何ができるのか。この側面はほとんど語られていないのではないだろうか?子育てする人に対するアプローチは盛んに論じられてはいるけれど・・・。抜けた業務の穴を埋めればいいだけなのでまぁそんなに難しいことではない。でもそれも単なる現状維持と言われればそうだろうと思う。
子育て世代が子どものない人間に何ができるのか?あまりそういったアプローチは存在していないのではないだろうか?子育てをしない人達はすべて自業自得。それでいいんだろうか?そんな関係性ではどちらも行き詰まることは目に見えている。この問題に対しての答えを模索していかない限り、マタニティー・ハラスメントは起きてしまうだろう。
子どもを生むのは当然の権利。それはいいし、行使すべきだ。でも権利には義務が伴うことは当然とすると、その義務って何?っていわれるとハタと困るのである。子育て世代も子どものない人間も明確に答えられる人が果たしてがいるんだろうか?これを作っていく必要があるのだと思っている。子どもが自立しにくい世の中になったことも、こういう問題が背景にあるのかも知れない。
社会における義務とはなにか?議論すべき時に来ているのだと思う。納税はそのひとつに過ぎない。税金を払えばいいとか言うのも何もいったことにならない。問題は使い道だからだ。
問い続け、行動することによって言葉を紡ぎ出していくより他はないのかもしれない。

ケアラーになって、得たもの、失ったもの

気づけば私はケアラーだった。
英語版
アムラーでもベムラーでもオイラーでもなく、ケアラーというらしい。
日本ケアラー協会というのもあるらしい。
ケアラーというのは、日常生活で身近に介護が必要な人がいて、それを支える人たちのことを言う。どうやら私はケアラーであるらしい。それを気づかせてくれた人がいる。大変にありがたい。
ケアの中身に関しては語ることはできない。プライバシーに属することだから。でも公開できる範囲で語ってみようか。このプライバシーの壁が、ケアラーを追い詰める一つの要因ではある。見た目は普通に見えるから。普通に見えるようにケアに没頭せざるを得ないということかもしれない。長い長いケア人生が転換を迎えてから15年になる。これは私の職業人生とほぼ重なる。いつからケアラーになったのかは、実はあまり明確ではない。19歳頃のような気もするし、そうでない気もする。家族におけるバランサーとしての役割が、そのままケアラーへの道をいつの間にか開いていた。ということは言えるだろうと思う。

「私の普通は、世間の普通じゃなかった。」

ということ。家族での役割に消耗し続けていて、まともな就職ができなかった。一旦就職はしたのだが、1年ちょっとでやめた。向いてなかったし、仕事に情熱を持てなかった。すでにエネルギーがなかった。これは単なる言い訳であるかも知れない。社会に出れば家族を振りきって就職することもできたのだから。でも私はそれができなかった。これがケアラーであったことの最初のマイナスであるだろう。それは今で尾を引いているのではあるが、やむを得ない。
15年前、妻との出会いがあった。どうしようもなく落ちぶれた25歳の私と妻の出会い。そこからゆっくりゆっくりと変わっていったように思う。何しろ何をするにも時間がかかる。それが結果として、自分の心を変えていったのだろうと思う。

一旦は社会福祉法人の臨時職員として、知的障害者の支援員をやった。結構楽しかったが、給料が安いし、あくまで一時的なものであって、ちゃんとした就職先を探すまでのつなぎだよと言ってくれた。だから、私はそこからチャレンジをしてみた。結果としては失敗した。非正規雇用としての傭兵稼業であったから、いかに結果を出しても仕事がなくなればクビである。2009年のリーマン・ショックで、あえなく契約切れとなった。あいかわらず、なんの保障もない。ケアラーはお金がない。致命的に不足している。これはやはり、つまるところ社会の理解がないということになるだろう。

そこから介護の仕事を8年半ほど勤務して、今に至る。職場は変わっている。今の職場は3つ目である。

曲がりなりにも、介護の仕事を続けているのはケアラーとしてのベースがあるからだろうと思う。歩行介助ひとつとっても、外出時のバリアフリールートを考えるにしても、毎日のようにやっているから、介護の仕事だけをしている人とは差が出る。でも職場でえられたノウハウも家で使えるから、それはそれで助かることもある。これはプラスに考えていいことだ。15年もたつと、いろいろな変化がある。バリアフリーの設備も、世間の反応も。それを如実に感じることがある。

ケアラーにとって必要なものは、やはり、ケアをしながら稼ぐことができる仕事の存在じゃないかと思う。バリアフリーの設備はだいぶ整ってきたので、「金で解決」できることは結構多い。でも今の日本のシステムでは、メンバーシップに参加できない人間は自動的に排除される。日本は巨大なムラ社会と言われる所以である。つまり最初から村八分なのである。世間一般では私は既にいないことになっている。それはそれで快適なこともあるが、やはり困ることもある。この国の福祉制度は家族がケアをすることが前提になっている。それが利用しづらいサービスしかない最大の原因だろうと思う。単なる家族というイデオロギーがあり、それに反するものはすべて自活せよということが、ケアラーの窮状を生んでいるとは思う。

福祉制度は役所だから申請主義でありSOSを出さねば何も動くことはない。これもまたケアラーを苦しめる要素である。いかなる不利を被っていたとしても、訴えがなければなかったことになる。これは散々に手こずらされた。たとえ孤独死したとしても、異臭が発して、近所からの訴えがない限り放置される。特に壮年期の男性はこの国の福祉制度の範囲外にある。野垂れ死にする自由があるということかも知れない。

ケアラーは容易に、排除され孤独なエアポケットに入ってしまう危険がたくさんあるということなのだ。だからこそ、その取り組みは、慎重に行っていく必要があるとは思っている。
私の人生は折り返し点をむかえた。その行く先にはダブルケアが待っている。これは動かしようがなく、かつ、確実性の高い未来だ。すべてを捨てて逃亡するか、死ぬかしない限りやってくるだろう。なるべく適切な準備をして当たりたいものだ。と思ったら始まっているかも知れないってのが、ダブルケアの偶発性かもしれない。

犠牲者として人生を終えるのか、充実して見送ることができるのか。それはこれからの行動にかかっている。

そんな静かな覚悟を、新月の朝にしてみた。

育児休暇、介護休暇はなぜ取得されないか

介護休暇にしろ、育児休暇にしろ、特に男性の取得率が低いのは、仕事を離れて休暇をとれば、それは即座にマイナス評価になり、ひどい場合はそのまま事実上解雇に追い込まれる。仕事を離れた人間はクビ。しかも自己都合で放り出される。これが日本の会社の現状だ。

「働かざる者食うべからず」 「ノーワークノーペイ」

という言葉しかない。だから、仕事を休むことは許されない。こんな意味不明なルールがある限り、育児休暇も介護休暇も有給休暇も取得が進むことはないだろう。

介護や育児をしっかりこなしても、それは全く会社においては評価されないのだ。ほとんどの会社において、その日暮らしの利益しか考えていないことが、休暇をとれない最大の原因である。

少し考えてみればわかるが、次の世代が育っていかなければ、社会は存続し得ない。それをやらないで、利益だけ確保しようとするのはただ乗りのフリーライダーでしかない。子育てにしろ、介護にしろ、そういう側面を持っている。

休暇がとれない職場というのは結局、目の前のことしか考えていない職場であるといってまず間違いない。有給であろうと無給であろうと。

休めば、評価が下がる仕組みを変えない限り、育児休暇や介護休暇の取得は増えていかないと思う。
それと、労働者同士に有給休暇の調整をさせることは止めるべきだ。基本的にはすべての労働者が100%有給休暇をとることを前提に人員を配置すべきなのである。たりなくなったら一時的に有期雇用の人間を雇ってもいい。トータルで足りないのに、労働者同士で調整したところで、誰がか犠牲になるだけで、無意味なことだと思う。

休暇をとった穴を埋めた労働者を評価して給与に反映する仕組みも必要だ。いつも思うのだけれど、誰かが休んでフォローしても給料が同じって言うのはいつもおかしいと思っている。欠勤だったら丸々一日分の人件費が浮くわけだし。それを利益として計上してしまうと、どんどん労働者の作業品質は下がっていく。

とにかく人件費を削って利益を出している会社にもう未来はない。補助金だのみのゾンビ企業はさっさとつぶれるべきなのだ。

経済学者はいつも、もっともらしいことを言うが、まともに機能したためしがない。おそらく、経済学は会計学をベースにした未来予測なのかも。それだから、結果論に陥りやすいのかもしれない。未来を決めつける結果論でしかないということだ。経済学は学問と言えるかどうか怪しい。

休暇の取得には大きな経済効果があるのだが、それが日本の会社組織にとって気に食わないらしい。自分たちだけ儲かればそれでいいという考え方なのだろうと思う。やっぱり、目の前のことしか考えていないのが最大の原因だろうと思う。ひとつずつとりあえずこなすことが大事だが、わずかでも積み重ねて結果を出していくってことが必要不可欠なのに。

厳しい介護現場で戦っている仲間たちへ

24時間365日介護をし続ける現場から離れてほぼ一年が過ぎた。

でもその6年半のキャリアは今の介護を支えてくれている。というよりは関わったすべてのご利用者から得られたものが、私を支えていると言ってもいい。
給料も出ないかも知れない、休みも取れないかも知れない。でもあなたの前には助けを必要としているご利用者様がいる。その方に自分が何ができるのか。そして何ができたのか。何ができなかったのか?
つまるところそれだけだったりする。職場の評価も、同僚の視線も何も関係ない。それを強く持てるかどうかで、介護の仕事を続けられるかどうかが決まる。現場を離れた人間には何も関係ない。上司であろうが、管理職であろうが、同じことである。あなたのケアだけが、あなた自身と、あなたの前にいるご利用者様を支えているのだ。

あなたの誠意にも関わらず、罵詈雑言を浴びることもあるだろう。でもそれは恐怖から来る悲鳴だ。よく観察して自分と相手の安全確保をして落ち着かせればいい。最低限自分の身を守ること。何に恐怖を感じているのかがわかれば、対処の道筋が見えてくる。

そこを乗り越えれば、そのご利用者様との信頼関係を一歩進めることができる。これは同僚や上司でも同じだ。だって同じ人間だもの。

待遇や体力的な問題から、介護現場を離れる時というのは必ず来ます。どんなに信頼関係ができたご利用者様であっても、それは同じ。たった今行った何気ないケアが最後になることだってあります。そう思うといい加減なケアはできないのではないかと思う。

無茶苦茶な業務量を押し付けられ、安全確保、生命維持が精一杯という現場であっても、問われるのは自分自身のケアであり、それだけが自分を支えてくれるし、活路を開くきっかけになるんです。だから1つだけでもいい。誰も見てなくてもいい。えこひいきでもいい。そのご利用者様を笑顔にしてあげて下さい。すべてはそこから始まります。

すべてはあなたの手のなかにあります。楽しいケアをつかみとるのはあなた自身です。

介護職員の給与は猛烈な格差社会


私の最後の夜勤を見守ってくれたのはこの花束だけだった。
これは同僚が最後の夜勤の入りの時に送ってくれたもの。
そう「夜勤入り」の時に手渡されたものだった。
一般的な礼儀感覚ならおかしいと思うだろう。普通は退職者に贈り物をするのは勤務が終了したタイミングだ。これから最後の仕事をする人間に普通は渡さない。ましてや夜勤だ。普通なら、夜勤明けの時に渡すだろう。
最終勤務日はほとんど挨拶で終えるっていうのが、円満退職っていうんでしょう?まあ円満退職じゃなかったからしょうがないんだけど。

これから20時間近く過酷な勤務をすることがわかりきっている人間に対して、花束を送る。こんなトンチンカンな対応には正直苦笑せざるをえなかった。私にしてみれば入所施設の介護職としての最後の夜勤。こんなことでかき乱されるようじゃいけない。最後の夜勤はしっかりやっていこうと思い直した。花束はバケツに入れてロッカーで待機していただき、翌日昼食配膳までの過酷な夜勤に向かったのだった。
話を聴いてみると、花束を贈るケアマネが「夜勤明けにはいないから」だそうである。誰かいるんだから、花束渡すのを頼めばいいのに・・・。別に私は誰でもよかったよ。っていうか事務の人のほうが仲良かったし。男のケアマネから受け取るより、女性事務員さんのほうが嬉しかったのだが・・・。

花束はちゃんと持って帰り、枯れるまでずっと家にありました。花束には罪はないので、しっかり最後を見届けようと思いました。

最後の夜勤明けだったか、その一つ前だったかは覚えていないけれども他の同僚たちが、何やら玄関先で楽しげに集合写真をとっているのが見えた。あとで確認してみたら、職員募集のための写真だった。その背後で、苦しい夜勤をずっと続けていた私がいたのだった。今思えば、そ知らぬ顔をして写ってやりゃあよかったな。そのときはそんな元気はなかったが、いい写真になったのに。まあ写っていてもその写真は排除されただろうけど。
この光と影は、もはや喜劇としか言いようがない。私はこの有料老人ホームにおいて、事故を起こさない介護ロボットに過ぎなかったのではないだろうか?便利だから使い倒され、壊れたから排除された。ただそれだけの事だったのだろう。人間というのは組織にどっぷり浸かるといくらでも極悪非道で非人道的なことを笑顔でできるといういい例ではないだろうか。

やめた直接のきっかけは、申請した有給休暇を却下したことだった。いつ休めるかということでさえ提示しなかった。
「それはリーダーにいってください」だそうである。
頭にきたので、朝礼後すぐに施設長のSをつかまえ、声を荒らげてやめるといってやった。最後に「じゃあな!」といったらS施設長が
「それが上司に対する言葉遣いですか」といったので、
「あなたは上司のつもりか?ろくに仕事もしていないのに」
といってあげました。あとはくだらないので適当に相手したあと勤務に戻りました。その上司の事業部長にはすぐ連絡しました。するとS施設長もすぐに連絡したらしく、(そういうことだけ速い)事情は理解していました。事業部長はきちんとした方で、こちらの言い分も聞いて下さり、
「私としては有給取れるかどうかはどうでもいいです。リーダーの組むシフトに従います。退職日は変わりません。」といった。
現場のリーダーは結局私抜きでシフトを組んで下さり、有給消化する形で退職することができた。正直どっちでも良かったっちゃあ良かったんだけど。

正直今も頑張っている人間には申し訳ないと思う気持ちもある。でも、それじゃあダメとも思う。そのために、今一度振り返ってみようと思うのだ。このまま流されていいことでもない。

去年の今ごろ、大企業介護職正社員として、果てしない消耗戦に引きずり込まれ、肉体も精神も無茶苦茶であり、奴隷に等しい待遇だった。本当に人権無視だった。

それでも多くの介護職員看護職員は、みずからの良心にしたがって、ぎりぎりのところで利用者の命を守っていた。守りきれなかった命もある。でも高齢を理由に見なかったことにしてた。訴訟になれば責任をとわれたかもしれない。そんな事例もあった

ではなぜこんなことが起きてしまったのだろうか?

この有料老人ホームの施設長にご登場頂こう。彼の名前はSという。私が中途採用で入ったのだけれど、なぜか私を採用した施設長は退職し、施設長はケアマネだったSが施設長となった。最初のうちは、急な起用ということで同情が集まったのであるが、たちまち能力不足と努力不足が露呈し、施設の統制は無茶苦茶になった。

この有料老人ホームは定員100名、24時間看護師常駐を売りにするホームであったが、入居率は80%程度。常に空室が生じている状況だった。

時々、入居があって一旦数字が盛り返すものの、退去される方が多く、しょっちゅう営業が来ていたが、なかなか定着することがなかった。死亡される方も多かった。

このような状況下において、S施設長は何かがおかしかった。まず一番おかしいと思うのは、ご利用者様が入居された時に一度も挨拶に来たことを見たことがない。これだけは正直許せなかった。入所施設においては本当に人生において最後の重大な決断をして入ってくる場合がほとんどである。その大事な日に、一度も挨拶に来ない施設長って一体なんなのだろうと思った。いくら100人定員の有料老人ホームとはいえ、入居はそうしょっちゅうあることじゃない。一ヶ月に数件あるぐらいだろうと思う。それでもかなり多いほうだ。なのにスケジュールを合わせてほんの30分でも挨拶に来れないのはその気がないとしか思えなかった。

一週間ハワイ旅行に出かけてしまったが、それでも施設の運営には何ら支障がなかったことを考えると、この施設長は名目上のものでいてもいなくても変わりがないのでクビにしたほうが良かったと思う。給料がもったいない。はっきりいって問題が山積みであり、施設の存続自体あやうく その自覚は全くなかった。

自分の言うことを聞く人間だけ、人事評価を上げて優遇し(でもこき使われているので大変そうだった)自分の言うことを聞かない人間(私のような人間)は徹底的に無視し、なかったことにする。そしてひたすらに減給をすることで収益を上げていく。

夜勤で休憩を取ることはできなかったが、それは個人の素質の問題らしい。他の事業所でもそう言われるらしいから、会社の公式の回答みたいだ。休憩が取れないのはその人の能力が劣っているからということらしい。他のフロアを補いながら、休憩を取るのが普通なのだけれど、いきなり研修もなしに、ぶっつけ本番で他のフロアに入るのは危険極まりないと思ったので、心の中で手をあわせて、なんとか自分のフロアを守るのが精一杯だったのに・・・。

こういう状況下では結局自分が、高齢者に対して何ができたのかが問われると思う。会社の評価なんてどうでもいい。そもそもまったく見ていないのだから評価なんかしようがない。
S施設長は管理職として基本的なスキルがそもそも欠如していたにもかかわらず、その地位にある。というのが最大の問題点でありましょう。適任者がいないのなら、施設そのものを解体してもいいと思う。コストがかさむ一方なのだから。

追記:8月1日を持って施設長は交代した模様。これで矛を収めるとしましょうか。もう無関係だし。とはいってもブツブツ文句言ってるかもしれないけど。まともなケアマネが戻ってきたようだし、少しはマシになるかな。大変だとは思うけど。



時給1000円介護施設職員の憂鬱

分かりやすく、介護職員の時給を1000円としてみる。夜勤が長引いて、24時間勤務になったとする。往々にしてよくあることである。そうすると、一勤務あたり2万4000円となる。そんなキチガイ勤務は一ヶ月に10回が精一杯なので、人件費は24万円用意する。それ以上増えることがないお得な定額パックだ。これで後は好きな金額で労働基準法にあうように計算すればいい。そもそも労働時間と休憩時間の定義すら曖昧なので、いくらでも額面の操作は可能だ。残業代を支払ったことにすればよい。勤務評定下げて、時間あたりの単価を下げれば、どんなに働いても24万円に収まるだろう。残業が多いのは生産性が低いからだといい放てばいい。
一ヶ月あたりの労働時間は240時間だから、法廷労働時間の176時間を引けば、残業は66時間。過労死ラインを下回るので、合法である。書面上、残業代が支払われていれば、誰も気づかないし、労働基準監督署も動きようがない。
実際上はここまで働けるタフな人間はほとんどいないから、もっと人件費は削ることができる。これがなんと管理監督者のインセンティブとして働く。介護職員を安く、奴隷のように働かせることのできる人間がドンドン給料が上がり、有給休暇をとって海外旅行へ行ける訳なのだ。
こんな介護施設では、利用者を減らさないためになるべく定員一杯まで詰め込み、ただ生かすだけになる。そんなものはケアとは呼べない。

処遇改善交付金があっても、介護報酬は減ったので、結局のところ介護職員の手取り給与は増えなかった。かえって減った例すらある。余計な書類仕事が増えて職務が停滞し、事務員の仕事が増えただけに終わった。
処遇改善交付金を誰に分配は各事業者に委ねられているから、いうことを聞くイエスマンに分配し、後のどうでもいい介護職員の給料は下げられる。
キャリアパス要件があるじゃないか?といわれるかもしれない。大抵の場合研修に参加することで、キャリアパス要件を満たすという仕組みになっているのだが、ほとんどの介護職員は現場が人手不足なので研修には参加できず、能力以前に昇給の機会がない。
つまりは出来レースであり、管理者が可愛がっているイエスマンだけ見せかけの研修を受けて昇給する。そういう人間だけが現場を踏み台にして出世して高い給料をもらっていく。

時給1000円の介護職員には昇給はない。減給と自己都合によるクビがあるだけなのだ。



無法者の長い夜。

夜勤って長くて大変ですね。と言われることがよくあるんですが、感覚的には「時間が足りない」と思うことのほうが多かったです。なぜかというとやることがいっぱいあるからです。
まあ大体夜勤の流れというのはこんな感じです。
15:30〜16:00 日勤からの申し送り
16:00〜17:00 見回り、夕食の準備 夕刊なんかを持ってきて配る。この時に大体の様子を見ておくとスムーズ。
17:00〜19:00 夕食誘導、介助、服薬、口腔ケア 臥床介助
19:00〜21:00 眠前薬、一回目の巡視 場合によっては少し休憩できるときもある
21:00〜23:00 コール対応 排泄介助一回目
23:00〜01:00 種々の作業を行う(洗濯とか翌日の準備とか湯冷ましなんかも作っておくといい)
01:00〜03:00 一番静かな時間ではあるが、疲れも出てくる時間。記録なんかはこの時間でまとめておかないと間に合わない
03:00〜05:00 コール対応 排泄介助二回目 ここが最終防衛ライン。ここで大体夜勤の出来不出来が決まってしまう。
05:00〜07:00 嵐の起床介助。コール対応しつつ全員を起こしていく。
07:00〜09:00 早番到着。朝食介助をしてほぼ終了が見えてくる
09:00〜10:00 まあ見守りぐらいならしててもいいけどさ・・・。意識は朦朧としています。
一見余裕が見えるかもしれませんが、常にコール対応があるので、それに対しての構えを忘れることはできません。落っことしたら夜勤者の責任です。意外と危ないのがリーダークラスの夜勤。他に仕事を抱えていて、夜勤中にやろうとしてフロアを離れていることが多く、またごまかす能力にも長けているので、一見発覚しませんが、後でえらいことになっていることもあります。私は意地でもフロアを離れることはしませんでした。
一番いやだったのは、残業だかなんだか知らないけどバカ大声を上げて事務所で盛り上がっている人たち。私は施設長だろうがなんだろうがそういう人がいたら注意しました。だってご利用者様が数メートル先で寝ようとしているのに馬鹿騒ぎで起こされてはたまらないからです。仕事が終わった解放感で盛り上がるのはよそでやってくれと言いたかったです。夜勤者はここからが本番なんだから・・・。それと同様に、夜勤明けに仕事を申し付ける人がまあ多いこと多いこと。二日酔い同然で意識が朦朧としてるんだから何言われてんだかわからん状態なのよ?そういう人達に日勤帯の業務を手伝わせるのはいい加減にしろと言いたくなりましたね。
夜勤明け残業がなければ回らない現場はどうにかして欲しいです。夜勤者は大抵の場合、全てのケアができる人が多いから、頼りにされるんでしょうけれど・・・。そんな延長戦は勘弁して欲しい・・・。なんてことをつい8ヶ月前までやってたんですなぁ。前日から延長戦が決まっていると、夜勤はとてもしんどくなります。朝までがんばろうってのが昼までになるわけで・・・。
こういう事態はほとんど明るみに出ません。わかっていて黙っているのはもっと悪質だと思います。夜勤なしとかいう求人を見ているともっとゲンナリします。そんな人しか来ないんでいつまでも夜勤がキツイんです。16時間の夜勤は楽ではないですけれど、きちんと体制が整っていれば、別にそれ自体が劣悪なわけではありません。昼夜逆転が放置され続けているとか、1時間に1回呼び続けることが日課になっている人とか、そういうことが何ら対策をされず放置されていることが問題なんです。最低限びしっと時間に終わっていれば、まあ何とかなるのですが。
現行の労働法にも問題があります。変形労働時間制においては一ヶ月176時間となっていればよく、その気になれば月12回の夜勤を定義することができます。一回の夜勤を14時間半とし、12回。1時間半をごまかしてしまえば万事解決という鬼のようなシフトを組んでも合法なのです。ああ、休憩時間をとったことにして実質的な拘束時間を増やす手だってありましたね。それで18時間拘束なんてザラです。場合によっては20時間拘束ぐらいになってたんじゃなかったじゃないでしょうか。
私は夜勤9回をやったことがあります。入、明、入、明、休、早、入、明、みたいなシフトになってとてもきつかったです。
まさに介護施設の夜は無法地帯なんです。毎日日本中の夜にこれが繰り返されていることをもっと知ってほしいと思います。



コール頻回の夜明け

高齢者介護をやっていると、訴えの多い方というのに遭遇することはよくある。Fさんもそんな一人だった。しょっちゅうしょっちゅうコールが鳴り、「痛い、布団を直して欲しい、トイレにいきたい」などなど大変だった覚えがある。でも私は好きだった。コール頻回にはいろんな原因があるが、やはり身体の不自由さから出てくるものがほとんどであろうと思う。
私はFさんが好きだったので、コール頻回でも、まあいつも同じように対応していた。なので
「あなたはいつも対応が変わらないねぇ」などとお褒めに預かることもあった。
とても頭は冴えておられる方で、いろんな話をしてくれた。写真が好きだったようで、お部屋にはたくさんの写真があり、出かけた先の話で花が咲いていた。
ある日夜勤を終えて、引き継ぎを終え、残りの記録を書いていた時だった。
その時、Fさんのコールが鳴った。行きたい気持ちもあったが、正直夜勤で疲れていたので、日勤に任せようと思った。しばらくコールがなって止まったので私は対応したのだと思い記録を書き続けていた。
・・・・でも、誰も行っていなかったのである・・・・。
状況としてはトイレから車椅子に乗り移ろうとして、ずり落ちていた。とりあえずトイレに座らせて、終わったあとにFさんがコールを鳴らした時にぶち切りして誰も行かなかったのであろう。
「これじゃあ、死んでても誰も気づかないんだね」
この言葉がとても私は辛かった・・・。その状況自体想像できていたのだから。自分がしっかりやっていたつもりなんて自信は消し飛んだ。夜勤が終わったことなどどうでもよくて自分がいって対応すればよかった。その時はそう思った。正直悔しかった。(夜勤明けが行かなければならなかったという事自体チームケアが崩壊してるが)
この日から、本気でケアに取り組むことにした。できる限りのことをやる。そこから約1年ぐらいだっただろうか。Fさんは息を引き取った。最後にやったケアはパット交換だったことを覚えている。なんかわからないけど、そうした。それが私にとっての別れの挨拶であったのかもしれない。
たしか私の夜勤入りの日の午前10時ごろだったと思う。私がいつものように夜勤で入ってくると、同僚から
「Fさん亡くなったよ」と伝えてもらった。あの時コール対応できなかったことを許してくれただろうか?

なかなか排泄がうまく行かなくて「また、(お腹に)だまされた」とかいってたっけかなぁ。
いつも一生懸命車椅子動かしてたっけ。寒がりで、布団はいつもモコモコになっていて、かける順番があるんだよね。
足さすったり、湯たんぽ入れたりしてたなぁ。少しは立てたけど、一生懸命手すりつかまってた。
お風呂は好きだったね。食パンは牛乳とコーヒーを混ぜて食べてた。あのセットを作るのが、キッチン担当の仕事。
歌を唄うのも好きだった。よく一生懸命歌詞カードめくってましたっけか。
夜間巡視に行くと、気配を察するのがうまくて、一回りして一番遠い場所辺りで呼ばれるのが定番だったなぁ。

Fさんのケアは、その後の私のケアの中核をなしていることは間違いない。



お風呂が焚けてない!!

新人介護職員だった私がやらかした思い出。このことを知っている人はあんまりいないと思うけれど。ショートスティの早番を始めたばかりのころ。私はミスをやらかしました。当時のショートスティはデイサービスとショートスティでお風呂を共有しておりまして、午前中はデイが入浴、午後はショートの入浴と決まっておりました。そこでショートスティの早番が、朝来たらお風呂のお湯を温めておくというルールになってましたが、スカタンだった私はそれをすっかり失念し、早番の作業に取り組んでおりました。
朝食介助も終わりほっと一息ついた8時半ごろでしたか・・・。デイの方から悲鳴が
「お風呂がたけていない!!、どーすんだ!!」
入浴予定はデイとショートあわせると30人ぐらいいたと思う。ショートはともかく、デイはその日のうちに入浴しなくてはいけない・・・・。とまあ大騒ぎに・・・・。
その当時の施設長以下全員パニックに・・・。あういう時ってわけがわからなくなりますね。何やらキッチンでお湯を沸かしてバケツリレーとかやってました。水の量が多いですから、おそらくは一回水を抜いて、沸かしながら入れたんではないかと思うのですが、デイの皆さまには本当にご迷惑をお掛けしました。
その騒ぎがはじまった時、途中で「あ、私だ」と思いましたが、その時は言えませんでした。
しかし、全てが終わってみんなが
「あーあ大変だった」とまあ多少和んだ時に
「実は・・・申し訳ありませんでした!!」と最敬礼して謝った時
みんな笑い泣きしておりました。あの時のなんとも言えないオチのような雰囲気は今でも時々思い出すことがあります。
でもまあ何とかしてみんなでご利用者様をお風呂に入れようとしていたということだったんだろうと思います。
当時の施設長は結構気性の激しい人だったんですが
「あんたは優しいからなあ、スィッチをひねるのがちょっと甘かったんや」というフォローで何事もなく納めてくださいました。
あの時の施設長以下ご迷惑をお掛けした皆さま、本当に申し訳ありませんでした。
教訓「スィッチの入れ忘れには気をつけましょう」
それ以来、私はお風呂のスィッチを入れるときにはわざわざ浴場までいって動いているのを確認するようになりましたとさ。



自分はスゴイんだという妄想「貧すれば鈍ず」

最近どうにも「自分はスゴイんだ」という妄想が湧き出ることがあり、少し閉口している。それは単に人に縋りたいだけなのか、何なのかわからないが。とにかく妙な精神状態である。それに絶望をくれてやることでどうにか精神状態を保っているような気もする。何とかしなくてはという考え方自体が停滞を生むという矛盾が続いていて、結果的に何も進まない。進まないという思い込み自体が自己評価すら難しくしている。強いていえば「貧すれば鈍ず」なのであるが・・・。
アクセルとブレーキを一度に踏んで、前に進まないような二律背反。
やはり、苦しみがそういう形になって現れているのではないかと思っている。転んだら、土を掴んで立ち上がるのは自分自身なのだ。それはよくわかっている。
ややこしい状態を、ややこしいままとりあえず、まな板においてみる。ぶった切って鍋に放り込む。物事は簡単にするのがなかなか難しいものである。様々な身体的苦痛が、心理状態になって現れ、安全のためロックがかかっていることは確かだ。だから前に進めない。まあ苦しみにもがくこと自体が実は、今の仕事に役だっていなくはないのだけれども。
大きく変化してく時代と自分に、戸惑っていて、変化自体をやめようとしているのかもしれない。そこには潜在的恐怖がある。
森田療法の臥褥期を脱しつつあるのかもしれない。などと思う。不愉快感こそが次へのステップであるのかもしれない。そこへ向かい、ごまかしていたことに直面することが、まずは第一歩なのではあるまいか。
呼吸を整えて、まずは身体をほぐしてみよう。
少なくとも今の自分には必要としてくれる人がいる。そこに活路を見出すことはできるのではないか。

赤いインプレッサ