岡田沙織さんという方がいる。あなたは何も悪くない。

この方と少しだけやり取りさせていただいたが、本当に素晴らしい方である。この人への協力はそのまま社会貢献になると思っている。それぐらい、今、苦しんでいる人たちへ手をさしのべている人だ。

岡田沙織さんはこんな方。

暖かで落ち着いた声。穏やかで冷静な視線。こういう人が苦しんでいる人を救っていくんだろうなあと思う。スッと心のブロックを解除するような、そんなふるまいが自然にできる方である。

リアルに岡田沙織さんの声を聞きたい方は、毎週水曜日16時から渋谷クロスFMにて生放送が聞けます。渋谷クロスFM

アマゾンからはこちら。

あなたはなにも悪くない。

私もこの本を読んだが、究極のリアリズムだと思った。困難な状況を乗り越えて一歩を踏み出すには、こういうスタンスで望む必要があるのだなと学ぶことができた。気づいてみたら、あ、そういうことなんだというぐらい簡単なことなんだけれど、なかなかに、それを認めたがらない常識や、固定観念といったものが邪魔をする。自分がどう回りの状況を認識し、一歩一歩踏み出していくのか。そのヒントはどんな人の前にもあって、それに気づかないだけなんだなと。いや、あえて気づこうとせずに、苦しみ続けてしまったのかもしれない。

私のなかで古びた心理学の知識、知見が、久しぶりに顔をだし、また新しい本も読みたくなってきた。岡田沙織さんはかなりしっかりと勉強されておられるなと、読書中に感じた。心理学で言うところの自我、超自我等の考え方も、さらっと出てきていたように思った。大学1年生ぐらいで読むとちょうどいいんじゃないかと思う。

岡田さんのやろうとしていることが、組織化され、より多くの子供たちのもとへ届けばいいと思っている。それは社会を守る強い強い力になると思うのだ。だから協力したいと思うのだけれど、いかんせん、私もすぐには動けない。家族もいるし、仕事もある。でもそれでもできることはあるんじゃないか。そんな風にいつも思っている。

何かいいことをしたい。という人は数多い。でもどうしていいかわからないという人が大半だ。そんな方も、自分自身が穏やかになって街角を歩き、心地よい状態で過ごせば、それだけで人を助けることもある。助けられることだってある。疑惑と不信に染められてしまったこの日本で、一人でも多くの心が豊かになり、よい方向へと向くようになるといいなと思う。岡田沙織さんの取り組みはそんな一歩でもある。

単純に励ますことは簡単で無責任だ。今苦しんでいる状況をどう受け止めて、次に進んでいくか。それが求められているんだと私は思う。

一読をおすすめする本である。

2018年12月分 いろいろありました。

しばらく放置でしたが、フェイスブック上ではまとまった文章を書くようにしてましたので、そこら辺をコピペでアーカイブ作業としたいと思います。

2018/12/24

学生の頃から若者文化には馴染めなかった。未だに苦手である。
本を読んだりして、「民主主義とは理論的科学的に名君を作る制度なのか?」などと考えていた人間だったから、他の学生と打ち解けられるはずもなく(その考えは現実の衆愚政治によって打ち砕かれたが)いつも学校では浮いていたと思う。それが故に、きちんとしていないと自分の居場所はなくなってしまう。
わけのわからない人間だけれども、やることはやるということで、かろうじて学生内で居場所を認めてもらっていた存在であったのだろう。敬遠はされていたけれども。いつしかそれが私の普通になっていた。
コンピューターテクノロジーに興味を示したのも、そちらのほうが人間よりも人間味あふれる存在に思えたからだ。歴史も同様である。歴史は人間学だから、なおのことそうである。歴史と自然に語り合うほうが現実世界より素晴らしく思えたのかもしれない。こういう疎外感が私の心の骨格をなしている。

12月21日 21:17 ·

手柄とか功績というのは、すべて他人に渡してしまっていい。そうしてしまう方が気楽でいい。そっちのほうがうまく行く。
他人に手柄や功績を渡すとどうなるか?2つの場合が考えられる。
1)渡された手柄や功績が自分の手柄だと思い込む。
2)手柄を渡されたことに気づき、自分のものにする。
このどちらかになるだろう。1)の場合は簡単だ。功績を渡したほうがいなくなればたちまち自滅する。実に単純。2)の場合は、渡された手柄や功績に依存するようになる。そうすると自分で何もできなくなり、功績を渡した方の思うがままになってしまう。
どちらの場合も功績を渡すと相手をコントロールできてしまうことになる。コントロールできない場合は、自分では功績を立てたと思っていても、ちっとも功績じゃなかったということになる。功績なんてそんなものである。だからどんどん周りの人に功績なんか渡してしまおう。渡すことによってまた自分の功績とは何だったのかを理解することもできる。
ただし、自分だけには嘘をつかないこと。自分のやったことだけは自分で評価することだ。それさえ守っていれば人を妬むこともないし、妬まれることもない。実に気楽なものである。

12月17日 19:55 ·

会社のそばの図書館へいってみた。図書館にしても本屋にしても古本屋にしても、はじめて訪れる場合は、まず、すべての書棚を一回りする。本を手に取ることはしない。ずらりと並んだ題名をひとつの文章として読んでいく。図書館をひとつの本としてまずは捉えるのである。そうするとその図書館のシナリオが見えてくる。それを一通り眺めてから、好きな本を手にとる。そうすると必要な本が目に飛び込んでくるようになり、スムーズに取り出すことができる。図書館はこのように楽しい場所である。規則正しくならんでいるので必然的に文章として捉えることが可能なのだ。
私は本に付箋を貼ったり、アンダーラインを引いたりすることはまずない。目次とページ数があれば、ほぼ大体目的の場所へアプローチができる。読んで頭に入っている本ならそうなる。そうならない本は読めていないのだ。
別に速読術みたいなのを学んだわけではないが、読んだ本の情報は、そのまま画像として認識されている。それを参照しているにすぎないのだと思う。それにプラスして、イメージが付与されており、映像化したシナリオが、あたかも動画を見るように頭の中で再生されている。いかなる電子書籍もかなわないスピードでアクセス可能だ。つまみ食いしながら、手あかをつけながら、本の間にポテチを挟みながら、読んでいることもあり、その汚れもまた、情報として入っているので、これもまた、電子書籍には再現できない部分であ

12月16日 14:09 ·

私はずっとここにいるんだけれど、わかりやすい領域で私のイメージを作り上げている人に、ちょっと考えた内容を出してみたりすると、たちまち「❓」マークがたくさん出てしまう。でも無理に分かりやすくしようとすると、嘘になってしまうので、それは止めようと思う。上手い問いかけが必要かもしれない。

12月16日 14:05 ·

少子化対策には、結婚と出産を分けてしまうのがもっとも手っ取り早い。理由の如何に関わらず、生まれてくる命を保護する。それでいいと思う。結婚は別にあとでも構わないと思う。家制度なんていうのは、時代によって変わっていくものなので、自分の体験に固執することこそが、罪悪に等しい。
自民党と公明党の議論を見て、非常にアホらしくおもった。第一段階として、生まれてくる命を保護する。第二段階として、子どもの生活習慣を守る仕組みを作り身に付けてもらう。第三段階として、教育をうけられる機会をつくる。あとは自分で選んでいくだろう。こんなにシンプルなことなのにどうしてできないんだろう?

12月14日 20:10 ·

本当に大切なことは
言葉にできない
こともある。

12月11日 6:55 ·

人にものを伝えたり、教えたりするのは、相手にお酌をするようなものかもしれない。
相手のコップが飲み干されていないのに注いでもこぼれてしまって、お酒がもったいないし、ペースが早すぎると悪酔いして相手に不愉快な思いをさせる。かといってペースが遅すぎると、席を立ってかえってしまうだろう。渇望しているところへ適量を注ぐことが大切だ。返杯を受ける必要もあるかもね。

12月9日 13:08 ·

日本政府の政策が国民に支持されているかどうかをみるには、その政策が実行されているかどうかを見ればいい。
たとえば、有給休暇義務化を例にとって説明してみよう。
来年度より始まることが決定している。これは強行法規であり、罰則規定もあるれっきとした法律なのであるが、それが実行されるには何が必要だろうか?

法律としては
「年に10日以上の有給休暇が付与される従業員は、時期を指定して5日の有給を取得せねばならない」違反した場合は30万円の罰金となっている。

現在日本において有給休暇の取得率は50%前後である。大体において、その数字は体感的なものと一致する。有給休暇の度数分布表をみてみると、まったく有給休暇をがおよそ10%、完全消化をしているひとが10%ぐらい存在するので、全員が有給休暇を5日とれば、およそ、70%の有給休暇取得は達成できる。という政策である。

有給休暇取得には、お金と、代替要員、そして業務の見直しが必要だ。この三つが用意できなければ、有給休暇を取得することは不可能である。

1)お金
まず第一に企業経営者が有給休暇取得のためのお金を用意しなくてはいけない。有給休暇取得率が70%になるように人件費を配分をし直し、それを市場が評価することである。取得率が下がっている企業は、「倒産しかかっている」ぐらいの評価が定着する必要がある。
未取得の有給休暇はすべて負債として計上し、報告させればかなり効果があると思う。(IFRS)

2)代替要員の確保
これも重要である。同業種だったら機密保持契約を結んで、社員をシェアするぐらいの大胆な試みもあっていい。同じ業種の企業であれば、必要とするスキルも似通っているから、即戦力になるだろうし、企業間の交流も深まる。有給休暇取得をさせることを専門とする、プロフェッショナル集団の人材派遣会社も面白い。社名は決めてある「コピーロボット」(笑)

3)業務の見直し。
これも代替要員の確保がないと難しいものではあるのだが、いったん立ち止まって業務を見直し、有給休暇全員取得とするのが本筋である。これはオーナー、経営者、管理職、従業員全員が取り組むべきものである。

よく、同調圧力から有給が取りづらい。なんていわれることがあるが、これは実は関係ない。そもそも、有給がとれるだけの人件費予算が組まれていないのだから、とったら睨まれるに決まっているのである。法的には正しく、請求権もあるが、それを請求したらその会社から去らないといけないだろう。予算に関して発言権のある従業員はすくないだろうから。現場は決められた予算を執行する機関にすぎない。従業員にできるのは逃げることだけだ。

今の日本の会社の常識は、一体有給休暇が何日とれるのか、情報公開もなく、公平なルールもなく、我慢だけさせられていることが問題なのである。その企業の財務状況に応じて、必然的に有給休暇の取得日数は決まる。それを公開しないことが、不平不満の原因になっているのだろうと思う。

ちなみに、5日間の強制付与だけだったら、実に簡単。見せかけだけの営業日を土日祝に適当に設定し、期末に有給付与して、5日分の日当を払えばOK。実質的に賃金が増額し、支払われていれば、労働基準監督署は何も言わないでしょう。

来年度の有給休暇取得率がどれくらい上がるかで、日本政府の政策が国民に支持されているかどうかがわかる。行動するのは国民一人ひとりなので。

一通り整理できたのでアップしてみた。

12月9日 11:11 ·

平成から、次に元号に移る前にダミーに年号を入れてはどうだろうか?
ダミーの年号は「改元」とする。
今回の場合、
平成31年1月1日~平成31年4月30日まで
「改元」元年5月1日~「改元」元年12月31日

翌年から
「新元号」2年1月1日~12月31日

こうすればすっきりするのではないかと、システム的に思った。
記録の類は後で、「改元」の部分だけ「新元号」に差し替えたり、読み換えたりすればいいだけのこと。そうすると天皇の代替わりはおよそ5月から6月ぐらいの一年の真ん中あたりでやると準備期間を最も多くとることができるので、大体そこら辺に落ち着くのではないか?

時代に合わせて皇室典範も変えたほうがいい。

12月8日 7:28 ·

私を守ってくれたのは
無名戦士への祈り
だったと思う。
私もまた、無名の一市民として
その生を終えるだろう。

12月5日 10:47 ·

介護の仕事をしていれば、どこかで必ずといっていいほど、

「私は人の人生を縮めてしまった」

という罪悪感に駆られることがある。気にしない人もいる。でも結局は同じことで無意識下に抑圧しているに過ぎない。抑圧された違和感は必ずどこかで噴出する。どんなに素晴らしい介護のやり方をしても、衰えていく命を押しとどめることはできない。自分の生命もまた同様であることを、少しずつ感じることになる。時々見つめなおす必要がある。

ターミナルケアの一つ一つの判断を支えてくれるのは「精一杯自分がやったケア」だけである。それだけが、その時の心身を支えてくれる。人を見送るとき、一番身近にいた人が冷静で、ずっとあえなかった人が泣き叫ぶのもこのためだ。ターミナルまでの生活そのものが、静かにその人を見送ることができる条件であろう。

そんな後悔で、私のケアは成り立っている。「死者の声」が聞こえるような気がしてならないのだ。実際に印象深く見送ることが出来た方の声は、まだ、頭の中で思い出すことができる。声の記憶は残っている。とはいっても実は、私は結構勝手で、ターミナルの瞬間そのものを見てない。でも自分の最後のケアは覚えているというような中途半端な人間だ。ターミナルが見えてきた時には、それが最後のケアになるであろうことをいつも考えてはいるのだけれど。基本的にはケアは全て最後になる可能性があると思っている。

「高齢者だから、病気だから致し方なかった」

まあよく発せられるワードである。でも、どこまで悔いなくやったのか?それがひとりひとりに問われるのである。それが見送る、看取りということなのだろう。ある程度の社会において合意形成は必要だが、一人ひとりの思い、向き合い方も自分なりに結論を出す必要がある。

12月4日 19:43 ·


人生は
体力勝負
身体は
バランスよく

12月3日 20:12 ·

私は奇妙な社会のエアポケットにいる。制度上どこにも存在していない奇妙な存在になってしまった。あたかも幽霊のようである。生きながらにして幽霊になってしまったのだ。誰も存在をしるものもなく、手続きをきちんとすれば、突然消えても誰も気にしない存在である。気づくとそうなっていた。だから周りからは特段見えない存在だ。

12月2日 18:11 ·

経済とは人間の行動を数字で表したものである。
ここ数年、色々考えてみて出してみた結論がこれである。この数字の精度がいまいち曖昧であり、正確性に乏しいことが、今の日本経済の最大の問題点だ。不正確なデータから議論をしてもほとんど無意味である。実体経済は何も変わらないだろう。
貧者の行動が富者の財産となっている。だから富者は貧者の行動に関心を持ち行動せねばならない。貧者もまた富者の行動を制約していることを忘れてはいけない。相互に無関心であることが、不幸の原因だ。誰しも犠牲になり、自ら犠牲を払い、誰かの犠牲の上に成り立っていることを忘れてはいけない。これが人間世界で生きていくルールだ。それに対する感謝と畏敬の念を持つことは、必要不可欠なことだ。
富者は取引によって、貧者の集団を取り替えることはたしかに可能だ。しかし、取り替える前の貧者の集団と、取り替えたあとのそれが同じように動く保証はまったくない。単純な数字の増減は、さほどの意味はない。貧者の行動が、富者のライフスタイルに合うものであるかどうか。案外そんなところが、資産安定の鍵であるように思うのだ。
性善説を取る富者は自らがとても残酷な存在であることに、目を背ける。自らが「悪」と認定されることを極端に怖がり、忌避する。だから「悪」を引き受けた人間が大きな資産を得ることがある。少なくとも自らの「悪」と向き合っているから。そういう存在のほうがリーダーとしては頼もしい。「悪」を忌避する富者は、つまるところ「悪」を人に押し付けているだけとも言える。

とかく最近現世利益のプラス思考ばかりが蔓延し、害悪と暴力を撒き散らしていると思う。本当に絶望のどん底まで落とされたあとのプラス思考なら、いいのだけれど。そうでないととても醜悪にしかみえない。

だから、あまりにも貧富の差が開きすぎると、貧者も富者もお互いの存在が理解の外になり、社会として成立しなくなる。膨大な富も意味をなさない。架空の数字になってしまう。それが今の日本の現状ではないかと思う。

わかりやすい例を出すなら、人間は生きていく以上、他の生物を殺して食さなければいけない。だから必要以上に貪ってはいけない。普通の社会なら他人を殺す必要はないが、誰かの犠牲によって自分の生活が成り立っていることは厳然たる事実だ。それに感謝することは、必要なんじゃないかと思うのだ。繰り返しになるが自分も犠牲になっている。そこに関心を持つことが「感謝」なんじゃないかと思うのだ。むやみやたらに感謝しても、違和感しかない。払われた犠牲に対して思いを馳せる。それが「感謝」だと思う。


マタニティーハラスメントはなぜ起きるのか?

妊娠出産をめぐるマタニティーハラスメントが跡を絶たない。これにはいくつかの原因がある。まず第一に、日本の企業組織は計画性のない人事が横行していること、属人的な業務だらけで、代わりがいないことが挙げられる。
それと根本的な勘違いとして、妊娠出産を人間がコントロールできると思い込んでいるところに最大の原因がある。生命に対する畏敬の念が失われているのである。
人にもよるだろうが、産休で抜けるなんてことはせいぜい1年か2年だろう。その程度のスケジューリングでさえ、今の日本企業ではできない。仕事を抜ければすべてが終わる。クビになるだけである。恵まれたホワイト企業ならば、そんなことはありませんと人は言うかもしれない。でもそれはブラック企業や組織によって支えられた結果かもしれない。次世代の育成というのは、社会を構成するすべての人たちが影響を受けることであるのに、自分たちだけ恵まれているというのはおかしいだろう。その場しのぎの考え方しか持っていない証拠である。
それと誰もが子供を作るとは限らない時代になっているので、子供のない人たちにとって見れば、なぜ人の子供のために自分たちが犠牲にならなくてはいけないのかという問いに応えることができない。これもマタニティーハラスメントを生む原因の一つだろう。
子育てしているグループと、子供のないグループとでは、断絶がある。これすらも意識していない人がほとんどだろう。結果的にはいかなる人間も次の世代に世話になることは確実なのであるが、なかなかそれは実感しにくい。子育て世代にとって見れば、独身男性なんかは、犯罪者予備軍としてしか見られていないだろう。独身男性としてもそう見られるのであれば、子育てしている人とは距離を置こうとする。子育て世代と、子どものない人間との間に伝え合う言葉が存在しないのだ。
この断絶を埋める作業をしなくてはいけない。子育てグループが子供のないグループに対して何ができるのか。この側面はほとんど語られていないのではないだろうか?子育てする人に対するアプローチは盛んに論じられてはいるけれど・・・。抜けた業務の穴を埋めればいいだけなのでまぁそんなに難しいことではない。でもそれも単なる現状維持と言われればそうだろうと思う。
子育て世代が子どものない人間に何ができるのか?あまりそういったアプローチは存在していないのではないだろうか?子育てをしない人達はすべて自業自得。それでいいんだろうか?そんな関係性ではどちらも行き詰まることは目に見えている。この問題に対しての答えを模索していかない限り、マタニティー・ハラスメントは起きてしまうだろう。
子どもを生むのは当然の権利。それはいいし、行使すべきだ。でも権利には義務が伴うことは当然とすると、その義務って何?っていわれるとハタと困るのである。子育て世代も子どものない人間も明確に答えられる人が果たしてがいるんだろうか?これを作っていく必要があるのだと思っている。子どもが自立しにくい世の中になったことも、こういう問題が背景にあるのかも知れない。
社会における義務とはなにか?議論すべき時に来ているのだと思う。納税はそのひとつに過ぎない。税金を払えばいいとか言うのも何もいったことにならない。問題は使い道だからだ。
問い続け、行動することによって言葉を紡ぎ出していくより他はないのかもしれない。

ルサンチマンと問題意識

ルサンチマンという言葉がある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ニーチェによれば、ルサンチマンを持つ人とは「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーWikiより
という意味であるが、なかなかに耳が痛い。負け犬の遠吠えといってもいい。それを問題意識へと昇華していくことで、物事にぶつかってきたつもりではあるのだが、なかなかに現状維持が精一杯である。実際には行動できないけど、気に食わない人間を想像上で攻撃するといった行為は誰しもやったことがあるとは思う。

ではなぜこういったことが起きるのだろうか?それはやはり、自分自身の刺激に対する感情がうまく処理できていないからではないだろうか?苛立っているときは得てして、過去の記憶を憎んでいることが多い。それが自動的に拡大再生産されていく。そして処理できなくなってルサンチマンとして蓄積され、厭世観までいってしまうのではないか。

自分にとって辛いことを引き起こす刺激を発する人間自体に、次第に憎しみが行くようになる。憎しみをぶつけられた方は、また憎しみで返す。憎悪の連鎖がそこで生まれていく。断ち切るには結局その組織から離れないといけないという事を繰り返してきたのではないか。

ここから問題意識を起こして行動に移り、問題を解決するには、一旦その苦しみを俎上にあげて客観視し、再度見つめなおす勇気が必要なのだ。それに麻痺していては問題の先送りに過ぎないだろう。ゆっくりとでも、少しずつでも進む勇気こそが、求められているものであろうと思うのだ。

憎しみをはじめとするマイナスの感情は身体の怒りだという。それを解いていけば、自然と怒りは消失していく。憎しみは身体に刻まれるものなのだろう。だからといって消えないわけでもない。人間は生きている限り変化を続けるのだから。

問題意識として昇華していくにはどうしたらいいのだろうか?やはり他人とのコミュニケーションによって、自らの憎しみを見つめ直す作業が不可欠であろう。信頼できる人間関係を持つことが、やはり重要なのである。鏡のような心を持つ人間の存在が不可欠だ。この鏡は必ずしもそのままを写すわけではなく、その人の観点、考え方、感じ方によって写る姿は異なるし、それでいいのだ。自らの苦しみを写し出すのは、時として迷惑をかけるんじゃないかと思って、ついつい控えてしまうことも多いが、時と場合によっては、それも必要なことがある。それにはやはり、人生のパートナーの存在が大きいと思う。

それと大切なのは、自らの肉体に対するアプローチだ。憎しみが生じているときは大抵身体も歪んでいる。これを正すことはかなり重要な要素となる。これを自覚していると他人の苦しみも理解できるようになる。これがよく忘れられている。身体の怒りにたいして向き合うことは、思考を整理することにも繋がる。しばしば人間は大脳のみで完結していると勘違いしていることが多いものだ。

エンストぎりぎりの攻防がMT上達のコツ

新車ならマツダデミオXDだよな。

中古車ならマーチ12S

だと思っている。このスペックを見ながら考えていたのだけれど、マツダのデミオであれば、多分エンストしない。22kg・mというぶっといトルクで1トンちょっとの車を動かすわけだから、強引に走っていける車だと思う。でもこれだとMTの運転はうまくならない。オートマの感覚で運転できてしまうから。入門編としてはいいのかも知れないけど、エンストしそうで怖いっていう感覚は、ドライバーにとってとても大事な感覚なのである。

こう考えるとやっぱり12kg・m程度のマーチのほうが、マニュアル車の運転を覚えるにはいいのかなとも思う。かなりクラッシックな車も運転できる伝統芸能という側面であれば、やはりそうしたほうがいいとも思う。ディーゼルの経済性は魅力なのではあるが。

ルノーカングーは、MTでゆったりと座れ、運転も楽しそうではある万能選手なのだけれど、デカイんだよなぁ・・。アルファード並みっていうのがでかすぎます。2世代ぐらい前のカングーはコンパクトでカッコいいのだが。結構走ってる車が多いんだよなぁ・・・。

7人のりとするならNV200を改造するっていうプランもあるけれど、車イス乗降or座席増設改造は面倒だな。MTでなければ存在するけどね。

86よりも、セリカのSS-Iがいいと思っている。FFのため、意外と広く、かつレギュラーガソリンってのがいい。問題は後ろの席が使いにくいことぐらいかなぁ。

スバルインプレッサかレガシィのワゴンがいいけど、小さいインプレッサの方に魅力を感じる。パワーを使いこなしながら乗りこなすのはやっぱりインプレッサだよなぁ。ワゴンであればいろんな荷物を積めるメリットがある。スバルの4WDには興味があるな。

ほどほどの大きさのマニュアル車を乗りこなすってのが目的だから、でかくてハイパワーがいいわけじゃないのである。アテンザのセダンなんかトルクが40キロもあるらしいが、それだとどんなギアでも走っていってしまうので、マニュアル車としての楽しみが減ってしまうんです。エンストはしないし、乗りやすくはありますがね。

富裕層と貧困層の関係

富裕層の資産と貧困層の行動は相互に関連している。貧困層の行動が富裕層の資産としてまとめられているといってもいい。

富裕層の富とは貧困層の行動によって保証されている。どんな資産でもいいが、分かりやすく高価な土地を持っている富裕層の資産を考えてみよう。銀座の一等地とかそういう土地だと思ってもらいたい。

土地は買う人がいるから価値を持つ。その価値を保証しているのは、そこに店なり、住宅なりをたてれば、住んでくれたり、店が儲けを出すことができるからだ。お店が儲かるにはお客さんがたくさん来てお金を使ってもらわねばならない。大多数の貧困層がそこで消費活動をしなければ、土地は資産価値を持つことはない。山奥の土地がほとんど価値がないのも、人間が来ないし、そこで活動をしていないからだ。これが観光地となってたくさんの人が来れば、その土地はたちまち価値を持つことになるだろう。

大多数をしめる貧困層の活動なくして、富裕層の資産は保証されないことがわかるだろう。私はこの構造がなぜ起きるのかを考えてみた時に、一つの発見をした。それは4桁の有効数字である。数字を計算するときに何桁まで計算できるだろうか?

31億3525万2756円。

この10桁の数字をいわれて、ピンとくるだろうか?値札にこれだけ付いていたとしても、正確にイメージできる人はほとんどいないだろう。莫大な財産を持つ富裕層でもこれは同じ。31.35億というふうな認識をするのではないだろうか?こうすると有効桁数はおよそ4桁ぐらいになるだろう。人間が処理できる有効桁数は大体4桁に収まるのではないだろうか?
4分の1を表すのに、0.25という単位は便利だから、小数点第二位ぐらいまではあるといい。富の単位を表すのに、

億の単位で考える人
万の単位で考える人
千の単位で考える人
一の単位で考える人

がいるだけのことなのだ。数字が大きいから偉いとか、優れているというわけでもない。微生物と、象がどっちが偉いとか言うぐらい意味のないことである。象は大きいが、微生物がもたらす病気で死ぬことがあるし、微生物はまた象がもたらす生命活動に依存して生きているのだから。

富裕層の人間で時々怯えながら暮らして、自分できれいな牢獄みたいな家に住んで、外へ出ないで暮らす人がある。私に言わせれば既に病気だと思う。おそらくは不確定なものを排除し、精神的な安定を得て引きこもっているのだろう。それはおそらく、自分の資産が他人によってコントロールされていることを感覚的に理解していながら、意識レベルで認めたくないんだと思う。

それならば、積極的に自分の資産を支える人と交流をして、よりよい関係を築いて行きさえすれば、更に資産は安定し発展していくと思うのだけれど、そのやり方が失われてしまったのが、現代の世界であると思う。それを私は模索していきたい。プラス思考によって、それに対峙しなかったことは否めない事実である。

とりえあえずは、人間以前に自然と一体になることが楽しくて、あんまり私は人間を相手にしてないことが、今の自分の経済的な位置を決めている。ということは言えそうだ。面倒くさがりなのである。私は。

富裕になるということは、つまるところ大多数の人間に、自分のライフスタイルを認めてもらい、行動してもらうということにつきるのではないだろうか?それに違和感が生じたりすれば、大多数の貧困層から見放されてしまう。そういうエネルギッシュな状態こそが、活性化された経済といえるのではないか。閉塞感がある今の日本は、無理やり富裕層が貧困層にライフスタイルを強要させて、それがなんかおかしいので、反発を買っているのだと思う。

努力した人間ほど「刻苦勉励」が好きだけど、それがどうもライフスタイルにあってないので、つまんなくて閉塞感があるのでは?

ゆるやかに、外部の自然を、体内の自然と融合させつつ生きるスタイルを提唱できたら面白いと思っている。

プロの仕事は身近にある。

ふとみあげるとそこにプロの仕事があった。

何気ない電柱に見えるかもしれないが、これはプロの仕事だ。当たり前に電気やインターネットができるのは、日本中にこんなプロの仕事が結果を出しているからだ。こんな電柱は日本中に無数にあると思う。日本に住んでいる人が当たり前に電気を使えて、当たり前にインターネットを使えるのも、こういうプロの仕事があるからだ。
もちろん、こういうふうに線を這わせるべき、というマニュアルがあって、それにのっとってやっていることは間違いないのだが、現場は千差万別である。24時間、365日、一定の期間、風雨や暑さ寒さに耐えて機能し続けなければいけない。電柱の一本一本の距離でも長さは違うし、きちんと規格にあったやり方をしないとたちまち断線をしてしまう。やり方を間違ったら付近一帯停電になる。はしごを登ってたどり着いた世界は、プロフェッショナルの世界なのだ。
誰も当たり前だと思っているので、気にもとめないのだが、たしかにそこには本物の仕事がある。電気、ガス、水道といったインフラ整備はそういうものだ。できて当たり前。そういう仕事も世の中にはある。
自動車整備もそうだ。キーをひねって、エンジンかかるのが当たり前。これもしっかりとした整備を日々行なってくれている人たちのおかげなのだ。それ以前になるべく壊れないような設計をしているのだけれど、使い方次第では持ちもするし、すぐ壊れることもある。そういうノウハウは、だいぶ失われているなぁとも思う。
海外へ行くと電化製品がすぐ壊れるそうである。日本の安定した電源を前提に設計されている電化製品が、しょっちゅう停電する国に行けば、あっさり壊れてしまうだろう。瞬停といって、ほんの僅かな時間の停電を繰り返すようなことがあると、ハイテク機器は致命的なダメージを受ける。そうなると自分で電源を持つしかない。バッテリ駆動であれば、瞬停をある程度カバーすることができるけれど、いつもバッテリを持ち歩くのは大変だと思う。
このようにインフラの品質は、日々の生活に大変な影響があるのだ。どこでも精密な電子機器が機能するということが、いかに素晴らしいことかは、日本からでないとなかなかわからないことである。それを支えているのが、プロフェッショナルの仕事なのだ。それにたいしては相応の敬意を払うべきだろう。

プロの仕事は、いつも静かに結果を出し続けている。

It became care person and lost the thing which I got

I was care person if I noticed. Oh, even Mullah is not Euler in Bemular either and seems to say care person.
Japanese

There seems to be association of Japanese care person, too.
care person has a person needing care in everyday life close and says people supporting it. I seem to be care person somehow or other. There is the person whom I reminded of it. It is hard to be serious.
I cannot talk about the contents of the care. Because it is to belong to privacy. But will I talk as far as I can show it? It is one factor that a wall of this privacy corners care person in. Because it shows appearances commonly. It may be to but be devoted to care to see it commonly. It is 15 years after the long long care life reached switch. This almost overlaps with my occupation life. In fact, it is not so clear how long it became care person. Such as about 19 years old feel like, and feel so. The role as the balancer in the family just founded a way to care person all too soon. That means, I think that I may say.

“My normal did not have the normal of the world”.

Continue being worn out for the role in families, and is proper; was not able to find a job. I found a job once, but stopped it in just a little over one year. I did not turn and was not able to have passion toward work. There was not energy anymore. This may be a simple excuse. Because I shook off a family if I appeared in the society and was able to find a job. But I was not able to speak it. It will be the first minus of this having been care person. It leaves a trail in now, but is unavoidable.
There was the encounter with the wife 15 years ago. The encounter of 25-year-old me and wife who came down helplessly. I think that I changed slowly slowly from there. Anyway, whatever you do, it takes time. I think that, as a result, it would change one’s heart.

As a temporary worker of the social welfare corporation, I worked as a member of support of the mentally-disabled person once. It was quite fun, but a salary was low and it was temporary and said to the last that it was a filler before looking for a proper workplace. Therefore I challenged it from there. As a result, I failed. Because it was employing mercenaries business as the irregular employment, I am fired if work disappears even if I give a result to a cuttlefish. By Lehman shock of 2009, it became running out of a contract tragically. There is no security as ever. care person does not have money. I am short fatally. After all this will become do not have place social understanding clogged up.

I work by work of the care from there approximately eight and a half years and lead in now. The workplace is changed. The present job is the third.

The one which continues working of the care thinks that this will be because there is a base as care person somehow or other. Because I do it almost every day even if walk assistance one thinks about a very barrier-free route when going out, a difference appears with the person doing only work of the care. But I of I may be saved in its own right because the know-how obtained in the workplace is usable in a house. You may think about this in a plus. There are various changes in 15 years. As for the barrier-free facilities as for the reaction of the world. I may vividly feel it.

After all the necessary thing thinks whether it is existence of the work that I can earn while caring for care person. Because the barrier-free facilities were set considerably, there is quite much that it is possible for “solution on Friday”. But, by the present Japanese system, the human being who cannot participate in membership is removed automatically. Japan is a reason to be said to be huge irregularity society. In other words it is social ostracism from a beginning. There is not to be me in the world public anymore. It may be comfortable, but after all may be troubled in its own right. It becomes the premise that a family takes care of the welfare system of this country. I give the service that it is hard to use and come true and think that it will be the biggest cause. There is the ideology called the simple family, and all the things against it think that it lays distress of care person to support.

If it is the principle of application because the welfare system is a government office and does not take out SOS, nothing moves. This is an element tormenting care person again. There would not be it without a suit even if I took any disadvantage. This is terrible; hand giving up. A bad smell rises even if I died in loneliness and is left unattended without the suit from the neighborhood. There is the man of the prime of life in particular beyond the welfare system of this country. It may be that there is freedom to die by the roadside.

It is that there is a lot of danger that care person is removed easily, and enters the lonely air pocket. Therefore I think the action to have to go carefully.
As for my life, I reached a turn-round. Double care is waiting to the destination. It is the future when I cannot move this and the certainty is high. I throw all away and escape or will come over unless I do whether you die. I make preparations appropriate as possible and want to prove right. It may be intellect , contingency of the double care whether it begins if I think.

I am enriched, and can you shelve whether you finish the life as a victim? It depends on action in the future.

I did such a quiet readiness in morning of the new moon.

A lifestyle of Japanese.

I think that Japan is a large amount of country compactly.
Japanese
But I am troubled very much now. I think that it is a country losing confidence. I have uneasiness and live on all living from hand to mouth while being a country proud of a big population scale. Daily life is over by inertia of crying how. There are many such people.
Though both a Japanese and a Chinese have many people minding honor, there are many people preventing, if anything, it from showing a lot of a showy person, the Japanese as for the Chinese if possible. Anyway, a Japanese is uneasy, and there is no help for it. There is a vast saving person for the uneasiness of the old age. Though I think that the one that I used while I live is happy, I possess it at the time of what-if and do not use it. Because there is the money that it uses only it to spend illogical medical expenses right before I die.
I think that the Japanese can do a more various thing if I can get rid of this uneasiness. I think that managers running the government and a bureaucrat of the Japanese Government, a Japanese company suffer from a mental disease. The negative spiral that uneasiness produces uneasiness continues all the time.
After all I think the cause that a lifestyle has it. The lifestyle to act of Japanese is abnormal. I leave the house early in the morning and get on a commuter train more than one hour and work overtime until work is over about a company and I am jolted in trains more than it again for one hour and return to the house. It is not unusual to support the family at about 22:00 from 21:00. I will live every day without watching the sun. Though I am used, I think that after all it is abnormal. There is very little time when oneself becomes free. Anyone is in an abnormal condition in this and suffers from a mental disease. A level of nation disease already includes it.
However, a place thinking that oneself are normal individualizes Japanese extraordinariness.
Then what is the solution? You should stop such a lifestyle. I work with responsibility to like it and make money to like it. It may be that this is the most important for a Japanese. But then only it should help each other each other because I may not readily get along well. So I think so that it is what is demanded from the present Japanese to give a result.
I want to spread more Japanese. I should come to be able to speak Japanese regardless of nationality. Japanese hides the power only for it, and there is the ability for coined word still more, too. The words are property for a race. I want to spread it in Asia more. Therefore I intend to scratch a lot of simpler sentences. I intend to write Japanese for the world if I say exaggeratedly.

ケアラーになって、得たもの、失ったもの

気づけば私はケアラーだった。
英語版
アムラーでもベムラーでもオイラーでもなく、ケアラーというらしい。
日本ケアラー協会というのもあるらしい。
ケアラーというのは、日常生活で身近に介護が必要な人がいて、それを支える人たちのことを言う。どうやら私はケアラーであるらしい。それを気づかせてくれた人がいる。大変にありがたい。
ケアの中身に関しては語ることはできない。プライバシーに属することだから。でも公開できる範囲で語ってみようか。このプライバシーの壁が、ケアラーを追い詰める一つの要因ではある。見た目は普通に見えるから。普通に見えるようにケアに没頭せざるを得ないということかもしれない。長い長いケア人生が転換を迎えてから15年になる。これは私の職業人生とほぼ重なる。いつからケアラーになったのかは、実はあまり明確ではない。19歳頃のような気もするし、そうでない気もする。家族におけるバランサーとしての役割が、そのままケアラーへの道をいつの間にか開いていた。ということは言えるだろうと思う。

「私の普通は、世間の普通じゃなかった。」

ということ。家族での役割に消耗し続けていて、まともな就職ができなかった。一旦就職はしたのだが、1年ちょっとでやめた。向いてなかったし、仕事に情熱を持てなかった。すでにエネルギーがなかった。これは単なる言い訳であるかも知れない。社会に出れば家族を振りきって就職することもできたのだから。でも私はそれができなかった。これがケアラーであったことの最初のマイナスであるだろう。それは今で尾を引いているのではあるが、やむを得ない。
15年前、妻との出会いがあった。どうしようもなく落ちぶれた25歳の私と妻の出会い。そこからゆっくりゆっくりと変わっていったように思う。何しろ何をするにも時間がかかる。それが結果として、自分の心を変えていったのだろうと思う。

一旦は社会福祉法人の臨時職員として、知的障害者の支援員をやった。結構楽しかったが、給料が安いし、あくまで一時的なものであって、ちゃんとした就職先を探すまでのつなぎだよと言ってくれた。だから、私はそこからチャレンジをしてみた。結果としては失敗した。非正規雇用としての傭兵稼業であったから、いかに結果を出しても仕事がなくなればクビである。2009年のリーマン・ショックで、あえなく契約切れとなった。あいかわらず、なんの保障もない。ケアラーはお金がない。致命的に不足している。これはやはり、つまるところ社会の理解がないということになるだろう。

そこから介護の仕事を8年半ほど勤務して、今に至る。職場は変わっている。今の職場は3つ目である。

曲がりなりにも、介護の仕事を続けているのはケアラーとしてのベースがあるからだろうと思う。歩行介助ひとつとっても、外出時のバリアフリールートを考えるにしても、毎日のようにやっているから、介護の仕事だけをしている人とは差が出る。でも職場でえられたノウハウも家で使えるから、それはそれで助かることもある。これはプラスに考えていいことだ。15年もたつと、いろいろな変化がある。バリアフリーの設備も、世間の反応も。それを如実に感じることがある。

ケアラーにとって必要なものは、やはり、ケアをしながら稼ぐことができる仕事の存在じゃないかと思う。バリアフリーの設備はだいぶ整ってきたので、「金で解決」できることは結構多い。でも今の日本のシステムでは、メンバーシップに参加できない人間は自動的に排除される。日本は巨大なムラ社会と言われる所以である。つまり最初から村八分なのである。世間一般では私は既にいないことになっている。それはそれで快適なこともあるが、やはり困ることもある。この国の福祉制度は家族がケアをすることが前提になっている。それが利用しづらいサービスしかない最大の原因だろうと思う。単なる家族というイデオロギーがあり、それに反するものはすべて自活せよということが、ケアラーの窮状を生んでいるとは思う。

福祉制度は役所だから申請主義でありSOSを出さねば何も動くことはない。これもまたケアラーを苦しめる要素である。いかなる不利を被っていたとしても、訴えがなければなかったことになる。これは散々に手こずらされた。たとえ孤独死したとしても、異臭が発して、近所からの訴えがない限り放置される。特に壮年期の男性はこの国の福祉制度の範囲外にある。野垂れ死にする自由があるということかも知れない。

ケアラーは容易に、排除され孤独なエアポケットに入ってしまう危険がたくさんあるということなのだ。だからこそ、その取り組みは、慎重に行っていく必要があるとは思っている。
私の人生は折り返し点をむかえた。その行く先にはダブルケアが待っている。これは動かしようがなく、かつ、確実性の高い未来だ。すべてを捨てて逃亡するか、死ぬかしない限りやってくるだろう。なるべく適切な準備をして当たりたいものだ。と思ったら始まっているかも知れないってのが、ダブルケアの偶発性かもしれない。

犠牲者として人生を終えるのか、充実して見送ることができるのか。それはこれからの行動にかかっている。

そんな静かな覚悟を、新月の朝にしてみた。