認知症と仮人格

認知症高齢者は、感覚器官からの情報も正しく処理できず、自らの生理的衝動をぶつけたり、暴力になってしまったりして混乱している。これに対してはどのように対処していくべきなのだろうか?

私は認知症高齢者に対しては、職員、家族などの支援者が仮人格を決めてしまい、それに則った行動をすることで、認知症高齢者の人格を再構成できるのではないかと考えている。高齢者はたくさんの人生を生きていて、様々な役割を果たしてきたことが多いから、想像力を膨らませれば。いろんな定義ができるだろうと思う。

特に施設などでは、いろんなスタッフがいるのだから、それぞれの知見をつなぎ合わせていて、認知症高齢者がどんな人だったか考えてみるといい。生活歴から正解を導き出そうとするのではなく、スタッフの私見でかまわないのである。むしろそちらのほうが仮人格にリアリティがまして、周りの反応が自然になるだろう。

認知症高齢者は今を生きるツールを失っている。それを如何にして回復させるかが、支援者の腕の見せ所であろう。仮人格はそのための定義、脚本と言ってもいい、スタッフと高齢者は役者、地域は観客である。わたしはこれこそバーちゃんリアリティと名付けたい。高いVRゴーグルがなくてもいつでもできるのである。

仮人格を与え振る舞っているうちに、どんどん仮人格から逸脱し、その人らしさを発揮していくのだ。そうなって安定していったら、その人格はその方のものだと思う。人間には膨大な情報が蓄積されているので、それを再構成すれば、日常生活を送る程度の人格を回復させるに充分である。環境をどう整えるかの問題は残るけれど、関係性の構築が容易であるならば、そんなに難しくはないとは思う。

認知症ケアはいつもドラマチックな劇場なのである。

その方はどんな方だと思う?っていうやり取りから全ては始まる。