Wikiで田中角栄をみていたら、満州の兵営で何を感じていたのか?どんな交流があったのかが気になっていた。
田中角栄wiki
騎兵24連隊ということだから、才気煥発というタイプだったのだろう。明晰な頭脳であることをかわれて重宝されたものと思われる。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/history_heiekigidai.htm
射撃は下手くそだったらしい。射撃馬鹿という言葉があるそうで、 射撃の名手は一見するとうすらぼんやりしている人間が多いそうだったらしい。角栄はそういうタイプではなかったのだろう。
角栄は肺の病気にかかり、内地に戻り療養している。ちょうどこのタイミングで大日本帝国は大規模な動員にはいる。なので太平洋戦争に従軍はしていない。昭和13年甲種合格の現役兵だというから、もし従軍していれば高い確率で戦死していただろうと思う。
病気で戦線に出れない悔しさと申し訳なさが角栄の気持ちにあっただろうから。最初から病気だったわけではなく、甲種合格の栄光をつかんでからの挫折だったのだから。
満州帰りの部隊が、そのまま角栄を支える組織となったのではないか?兵営における共通体験が、強いつながりを作ったのではないだろうか?
気になるのは旧満州国の革新官僚とのつながりだ。岸信介なんかはその象徴。直接関係なくとも共通のつながり位はあったかも知れない。
ニニ六事件で左遷された皇道派の山下奏文と第一師団の兵隊もいたので、満州はある意味で不穏分子の集いみたいなところもあります。ニニ六事件参加者の兵隊は満州に飛ばされて警官やってたみたいだし。
満州で角栄は、実験国家の雰囲気をたくさん吸ったんだろうとおもう。