若者が選挙に行かない理由

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若者が選挙に行かない理由は実に単純だ。行っても行かなくても無意味だからである。選挙にいっても意見が反映されないし、行かなければ意見が反映されない。どっちも同じなら行かないほうがマシとなる。
かつては暴力によって主張することもできた。外国のとある有名な投資家は「日本の若者はカラシニコフAK47銃をもって首相官邸と国会を襲うべきだ」と言っている。外国ならそうなるといっているのだ。
暴力は良くないという。でもそれは外に向かっての暴力を禁じただけで、自分に対する暴力は野放しだ。だから自ら死んでいくことで、静かな暴力が猛威を振るっている。これには皆目を背けたままである。若者は生産せず、消費もせず、ただ静かに死んでいくサイレントテロだ。その恐ろしさが老後の不安とやらになって反映されているのではないか?
日本人は整然と死んでいっている。自殺者が3万人なのは、警察の処理能力が多分そこまでなのだろうと思う。それ以外は変死扱い。少し減って入るようだが、行政能力のキャパシティーを越えた死が存在していることは確かのようだ。私達日本人は「失われた20年」(そのうち25年になるだろう)という内戦を戦っている。
主とした原因は財政難にある。米国の政治体制を支えるために、膨大な債権を買わされてそれが帰ってくる見込みはほとんどゼロなので、財政難になるのもあたり前である。お金を貸して返ってこないのでは、まき上げられたのと同じ。オバマ大統領は一回米国債を精算してくれと言ってきたらしい。それはそれでひとつの見識だったと思う。事実上返ってこない借金ならばないのと同じでしょう?という提案をしてきたのだろうと思います。でも米国から見放されると思った日本政府当局者はそれを拒否して米国にすがりつく道を選んだようだ。暴力をふるう米国の夫と、それにすがる日本という妻。この繰り返された図式はいつまで続くんだろうか?

日本の民主主義システムはとても小さな力しか持っていない。ほとんど儀礼上のアクセサリーのようなものだ。実際の政策決定は非公開の既得権者たちの談合で決まる。いわば見えない独裁政治といっていい。
多くの人たちは政治に参加することをそもそも許されていない。普通選挙の形をとっているが実質上は制限選挙だ。膨大な資金と既得権者のコネクションがなければ、政治に参加することさえ許されない。
国民全員が投票する仕組みを作ること自体は可能だが、それすらやっていない。そのほうが今の権力者にとって都合がいいからに他ならない。投票率の向上などといっているが、実質的には「自分たちに従え」といっているだけだから。
小さな権力にしがみつき、そこで安穏と暮らし、見たくもないものは見ないことで、ずっと先送りをし続けているのが、今の日本の現状だ。いっそのこと滅びてしまえと思うことさえある。でも本当はすでにシャドウで滅びているのかも知れないなと思う。
どこかソビエト連邦崩壊前に似ている気がしてならない。
ここで私は本当の勇気を振り絞って一歩を踏み出さないといけないな。