なぜ大日本帝国海軍はアメリカとの戦争に踏み切ったのか?という問いかけの一つの答えが、この三人にある。
ごく単純に国力比からいえば、大日本帝国がアメリカ合衆国に戦争を挑んでも勝利することは不可能だ。常備戦力は70%以下、アメリカ海軍を決戦で全滅させても、その気になればアメリカはもうワンセット戦争しながら艦隊を再建することが可能だ。
大日本帝国は、戦争前に作った艦隊が全滅すれば、それでもうおしまいである。
実際の太平洋戦争においてもそのような経緯をたどった。航空戦力で艦隊の劣勢を補うことはある程度できたものの、アメリカ側がそれを上回る航空戦力を繰り出したため、対抗することは不可能となり、大日本帝国は敗北した。
このことを米内光政、山本五十六、井上成美はよくわかっていた。アメリカ、イギリスに対抗するために、大日本帝国、ナチスドイツ、イタリアと同盟を結んだが、この三人はこの三国同盟を反共産主義の協定にとどめることにその全力を注いだ。そのため、帝国陸軍の好戦派をバックにした右翼団体からテロの標的になっていた。山本五十六はこの時期遺書を書いている。
米内光政海軍大臣、山本五十六次官、井上成美軍務局長が、そのポストを去ったとき、大日本帝国海軍は、アメリカとの戦争の道を歩みはじめたといえる。
山本五十六が、もっとも長く連合艦隊司令長官を勤めたのは、テロの危険から山本五十六を守るためであった。連合艦隊の旗艦にいれば、テロリストによる暗殺は不可能だ。乗組員一人一人に厳重なチェックをすることができるから。
でも山本五十六は馴染みの芸者を連合艦隊の旗艦に招待してた気もする。いかにも山本五十六らしいが。