富裕層と貧困層の関係

富裕層の資産と貧困層の行動は相互に関連している。貧困層の行動が富裕層の資産としてまとめられているといってもいい。

富裕層の富とは貧困層の行動によって保証されている。どんな資産でもいいが、分かりやすく高価な土地を持っている富裕層の資産を考えてみよう。銀座の一等地とかそういう土地だと思ってもらいたい。

土地は買う人がいるから価値を持つ。その価値を保証しているのは、そこに店なり、住宅なりをたてれば、住んでくれたり、店が儲けを出すことができるからだ。お店が儲かるにはお客さんがたくさん来てお金を使ってもらわねばならない。大多数の貧困層がそこで消費活動をしなければ、土地は資産価値を持つことはない。山奥の土地がほとんど価値がないのも、人間が来ないし、そこで活動をしていないからだ。これが観光地となってたくさんの人が来れば、その土地はたちまち価値を持つことになるだろう。

大多数をしめる貧困層の活動なくして、富裕層の資産は保証されないことがわかるだろう。私はこの構造がなぜ起きるのかを考えてみた時に、一つの発見をした。それは4桁の有効数字である。数字を計算するときに何桁まで計算できるだろうか?

31億3525万2756円。

この10桁の数字をいわれて、ピンとくるだろうか?値札にこれだけ付いていたとしても、正確にイメージできる人はほとんどいないだろう。莫大な財産を持つ富裕層でもこれは同じ。31.35億というふうな認識をするのではないだろうか?こうすると有効桁数はおよそ4桁ぐらいになるだろう。人間が処理できる有効桁数は大体4桁に収まるのではないだろうか?
4分の1を表すのに、0.25という単位は便利だから、小数点第二位ぐらいまではあるといい。富の単位を表すのに、

億の単位で考える人
万の単位で考える人
千の単位で考える人
一の単位で考える人

がいるだけのことなのだ。数字が大きいから偉いとか、優れているというわけでもない。微生物と、象がどっちが偉いとか言うぐらい意味のないことである。象は大きいが、微生物がもたらす病気で死ぬことがあるし、微生物はまた象がもたらす生命活動に依存して生きているのだから。

富裕層の人間で時々怯えながら暮らして、自分できれいな牢獄みたいな家に住んで、外へ出ないで暮らす人がある。私に言わせれば既に病気だと思う。おそらくは不確定なものを排除し、精神的な安定を得て引きこもっているのだろう。それはおそらく、自分の資産が他人によってコントロールされていることを感覚的に理解していながら、意識レベルで認めたくないんだと思う。

それならば、積極的に自分の資産を支える人と交流をして、よりよい関係を築いて行きさえすれば、更に資産は安定し発展していくと思うのだけれど、そのやり方が失われてしまったのが、現代の世界であると思う。それを私は模索していきたい。プラス思考によって、それに対峙しなかったことは否めない事実である。

とりえあえずは、人間以前に自然と一体になることが楽しくて、あんまり私は人間を相手にしてないことが、今の自分の経済的な位置を決めている。ということは言えそうだ。面倒くさがりなのである。私は。

富裕になるということは、つまるところ大多数の人間に、自分のライフスタイルを認めてもらい、行動してもらうということにつきるのではないだろうか?それに違和感が生じたりすれば、大多数の貧困層から見放されてしまう。そういうエネルギッシュな状態こそが、活性化された経済といえるのではないか。閉塞感がある今の日本は、無理やり富裕層が貧困層にライフスタイルを強要させて、それがなんかおかしいので、反発を買っているのだと思う。

努力した人間ほど「刻苦勉励」が好きだけど、それがどうもライフスタイルにあってないので、つまんなくて閉塞感があるのでは?

ゆるやかに、外部の自然を、体内の自然と融合させつつ生きるスタイルを提唱できたら面白いと思っている。