5つのギアチェンジ。

さて、我が家のU14ブルーバードのギア比はこんな感じ。

第1速 3.333 ファースト
第2速 1.955 セカンド
第3速 1.286 サード
第4速 0.926 トップ
第5速 0.733 オーバートップ

後退 3.153 バック

最終減速比 4.375

これを頭に入れながらギアチェンジしている。ギア比の計算は全部掛け算なんで、大体の数字をいれておくと面白いです。大体においてセカンド、サード、トップがあれば、世の中の道を走っていける車ではあるんですが、加速の場合は段飛ばしシフトといって、セカンドからトップへ、ファーストからサードへ、なんてことをやることもあります。加速が急激であり、そこから安定したスピードを保とうとするとそんな感じになることもあります。
一番多いギアチェンジはサードとトップの間ではないでしょうか?30キロから40キロの間ぐらいで、いつも思い悩むところではあります。

U14ブルーバードギア比

U14ブルーバード性能諸元

ファイナルレシオ Final Ratioとか言うとかっこいい。
最終減速比とは

あ、そうそう、マニュアル車友の会の候補生としてはK12のマーチを考えています。他にもスバル・インプレッサ、スズキのスイフトあたりが候補ではあります。トヨタ・セリカのSS-I、マツダのアクセラもいいかな。
K12マーチの諸元

K12マーチは重量も軽い上に、現時点で車の台数も出ていて、メンテナンスも容易、軽量で4人乗れるというあたりにメリットを感じています。なんだかんだで燃費は重要なファクターであります。ガソリン代、バカになりませんものね。マニュアル車の運転を楽しんでもらうっていうことであると、軽めの車がいいんです。ハイパワーでトルク一杯の車は、そもそもギアチェンジをする必要がありません。ギアをぶち込んで、半クラッチですべてがつまんないですね。

マニュアル車に必要な足腰を調整する運動プログラムもあってもいいですね。

ZZT230セリカ

セリカは、運転するっていうだけならいいんですが、2ドアクーペだから、どうしても人を載せるってことはできないですね。一人でかっ飛んでツーリングに行くにはいいけど。結構荷物も積めるんで、一人旅にはいいかと。

育児休暇、介護休暇はなぜ取得されないか

介護休暇にしろ、育児休暇にしろ、特に男性の取得率が低いのは、仕事を離れて休暇をとれば、それは即座にマイナス評価になり、ひどい場合はそのまま事実上解雇に追い込まれる。仕事を離れた人間はクビ。しかも自己都合で放り出される。これが日本の会社の現状だ。

「働かざる者食うべからず」 「ノーワークノーペイ」

という言葉しかない。だから、仕事を休むことは許されない。こんな意味不明なルールがある限り、育児休暇も介護休暇も有給休暇も取得が進むことはないだろう。

介護や育児をしっかりこなしても、それは全く会社においては評価されないのだ。ほとんどの会社において、その日暮らしの利益しか考えていないことが、休暇をとれない最大の原因である。

少し考えてみればわかるが、次の世代が育っていかなければ、社会は存続し得ない。それをやらないで、利益だけ確保しようとするのはただ乗りのフリーライダーでしかない。子育てにしろ、介護にしろ、そういう側面を持っている。

休暇がとれない職場というのは結局、目の前のことしか考えていない職場であるといってまず間違いない。有給であろうと無給であろうと。

休めば、評価が下がる仕組みを変えない限り、育児休暇や介護休暇の取得は増えていかないと思う。
それと、労働者同士に有給休暇の調整をさせることは止めるべきだ。基本的にはすべての労働者が100%有給休暇をとることを前提に人員を配置すべきなのである。たりなくなったら一時的に有期雇用の人間を雇ってもいい。トータルで足りないのに、労働者同士で調整したところで、誰がか犠牲になるだけで、無意味なことだと思う。

休暇をとった穴を埋めた労働者を評価して給与に反映する仕組みも必要だ。いつも思うのだけれど、誰かが休んでフォローしても給料が同じって言うのはいつもおかしいと思っている。欠勤だったら丸々一日分の人件費が浮くわけだし。それを利益として計上してしまうと、どんどん労働者の作業品質は下がっていく。

とにかく人件費を削って利益を出している会社にもう未来はない。補助金だのみのゾンビ企業はさっさとつぶれるべきなのだ。

経済学者はいつも、もっともらしいことを言うが、まともに機能したためしがない。おそらく、経済学は会計学をベースにした未来予測なのかも。それだから、結果論に陥りやすいのかもしれない。未来を決めつける結果論でしかないということだ。経済学は学問と言えるかどうか怪しい。

休暇の取得には大きな経済効果があるのだが、それが日本の会社組織にとって気に食わないらしい。自分たちだけ儲かればそれでいいという考え方なのだろうと思う。やっぱり、目の前のことしか考えていないのが最大の原因だろうと思う。ひとつずつとりあえずこなすことが大事だが、わずかでも積み重ねて結果を出していくってことが必要不可欠なのに。

日本人のライフスタイル。

日本はコンパクトにまとまった国だと思う。
英語版
だけど、今とても困っている。自信を失ってしまっている国だと思う。大きな人口規模を誇る国でありながら、みんなその日暮しで、不安を抱えて暮らしている。なんとなくの惰性で毎日が過ぎていく。そんな人たちが多い。
日本人も中国人も体面を気にする人が多いけれど、中国人は見栄っ張り、日本人はどちらかというとなるべく目立たないようにする人が多い。とにかく日本人は不安でしょうがない。老後の不安に備えて莫大な貯金をする人がいる。生きているうちに使ってくれたほうが幸せだと思うけれど、もしもの時に備えて、使わない。死ぬ間際に無茶苦茶医療費を使うのはそれだけ使う金があるから。
この不安を取り去ることができたら、日本人はもっといろいろなことができると思う。私は日本政府の政府や官僚、日本企業を運営している経営者たちは精神疾患にかかっていると思う。不安が不安を生む負のスパイラルがずっと続いている。
その原因はやはり、生活習慣にあると思う。働く日本人のライフスタイルは異常だ。朝早く家を出て、通勤電車に1時間以上乗って、会社について仕事が終わるまで残業して、また1時間以上の電車に揺られて家に帰る。家につくのが21:00から22:00頃なんてのは珍しくない。毎日、太陽を見ないで暮らすことになる。私は慣れてはいるけれども、やはり異常なことだと思う。自分の自由になる時間がとても少ない。これでは誰でも異常な状態になり、精神疾患になってしまう。もはや国民病のレベルにある。
にもかかわらず、自分たちは正常だと思っているところが、日本の異常さを際立たせている。
では、解決策はなんだろうか?そんなライフスタイルをやめてしまえばいいのだ。好きなように責任を持って働き、好きなように稼ぐ。これが日本人には一番大切なことであるのかも知れない。でもそれだけじゃあ、なかなかうまく行かないこともあるから、お互いに助け合わないといけない。それで結果を出していくということが、今の日本人に求められていることであろうと思う。
私はもっと日本語を広めていきたいと思っている。国籍を問わず日本語が話せるようになったらいい。日本語はそれだけの力を秘めているし、まだまだ造語能力もある。言葉は民族にとって財産だ。アジアにもっと広めていきたい。そのためにもっとシンプルな文章をたくさんかいてみようと思っている。大げさに言えば、世界に向けた日本語を書いてみようと思うのだ。

マニュアル車に乗ったことがないのでは?

マニュアル車に、今日も今日とて乗っています。みんな、マニュアル車に乗ったことがない人が多いのだなと思う。

免許とっても、すぐにオートマに乗ってしまうから、マニュアル車の楽しみを知る前に、中途半端な形で車の運転を覚えてしまうのだろうと思う。体験すらしていないで、「マニュアル車は面倒くさい」と思い込んでいるのではないだろうか?

そのためにはやはり、マニュアル車に気軽に乗れる機会を作らないといけないんだろうなと思う。気軽に1000円とガソリン代位でマニュアル車に乗れたら、もっとファンが増えていくと思う。

だいたい、マニュアル車の方が楽しいし。そういうカーシェアの文化ができていったら楽しいと思うのだ。

ミニバン用途だと、ルノーカングーがいい。こ気味のいいエンジンと、楽しめる室内空間。みんなでわいわいやるにはいいだろう。

豪華にいくならアテンザかな?でも、エンジンがでかすぎて、どのギアでも進んじゃって、あまり面白くはないかもしれないな。ただ、長距離乗るにはいいかもです。

一番元気に楽しめるのはやっぱり、日産マーチ、スズキスウィフト、スバルインプレッサあたりだろうか?

セリカも案外気に入っている。パワーにゆとりがあって、楽しめそうではある。

死ぬまで稼ぐにはどうしたらいいか?

私は人生の最後まで、働く必要があるみたいだ。両親と妻を見送るまでは、生きて働かないといけない。そのためには今のうちから、死の一歩手前まで働くことのできる技術と、習慣と、職場を確保しておく必要がある。

まずは身体を長持ちさせなくてはいけない。目や耳は特に大事にする必要があるだろう。身体能力もある程度の水準を維持しなくてはならない。私は死ねないのだから。

肉体労働だけでなく、知的労働も経験し、一定の結果を出す必要がある。

両親と妻を見送ったら、家を買って孤独死がいい。そのまま墓になるのでちょうどいい。自分の土地の上にある自分の家で死んでいたら誰も文句はいえまい。小さな平屋でいい。

取り壊されても、ほっておかれても、どっちでもいい。あとの人が好きにすればいい。それぐらいの財産なら、なんとか作れるかもしれない。

私の人生は、わりに単純だなと思う。最後まで生き残って、一人で死ぬ。さて、しぶとく生き残るとしますか。

なるべくたくさんの人を見送れるよう頑張ろう。次の世代にもメッセージを送り続けよう。そしてひたすらに、[今]を生き続けてみよう。

私は人生の長距離ランナーだ。周回遅れのランナーだ。ゴールがなくなっても、走り続けよう。生き抜くために。

私のキャリアは2002年に終了した。

私は最初からドロップアウトをしている。大学を卒業し、適当に就職を決めた時点で、既にキャリアは終わっている。そこでもう、普通の暮らしは望めないことは確定していたのである。当たり前に就職し、家庭を持つ暮らしを持つ可能性はそこでなくなっていたのであった。一度レールから外れれば日本の社会は二度と元に戻ることはできないことを図らずも私は立証して見せたわけではある。
でもまあ、生きていることには違いないし、結婚もしている。でもこの厳然たる事実は違いはない。だから、私の人生は15年前に終わっている。そう考えてほぼ間違いはない。日本はそういう国だ。なんとなくごまかしてはいるけれども。
20代の私に名前はなかった。あるのは番号だけだった。人間ではなかったのだ。ロボットだったのである。存在を事実上消され、名乗ることも許されず20代は終わった。公式に私の20代を証明するものは何一つない。文字通り無名といってもいい。名前が存在しないのだから、私の存在を知る人もいないだろう。それはそれですっきりしていていい。仕事がなくなれば、来月から給料がない。それは当たり前のことであった。
リーマンショックというのがあって、仕事がなくなり、放り出された。いい加減仕事を探すのも疲れたので、介護の仕事を始めてみた。ずっと6年ほど、深い闇の中にいた。命を見つめることをずっと続けていた。頼むから死なないでくれと思う晩もあった。自分のエゴなのだけれど、それを続けると、「死なないでほしい」という願いに変わっていった。やはり、名前はなかった。それはそれでいい。
気持ちが澄んで冴えてくると、どんどん自分の存在が消えていくのがわかる。びっくりするほど周りの人は気づかなくなる。それはそれで面白い。あたかも私はいないように振舞う。時々拗ねたくなるのは、まだまだ未熟なのだろう。
貧富の差なんてものはたいした意味を持たない。お金というのは単なる数字であって、問題は人を動かすかどうかなのだから。命をいかに燃やすことができるのか。そちらのほうがよほど問題だ。富裕層はお金の量を管理し、貧困層はお金の制度を保障する。人間の計算能力にたいした違いはないから、必然的にそうなる。貧困層がいなければ、富裕層の富は、価値を失う。日本から出て行くのも手だが、出て行った先の外国の貧困層が富を保障するメカニズムには違いはない。言葉が通じる相手のほうがコントロールはしやすいのではないかと思う。
哀れに思う必要もないし、人をうらやむ必要もない。生きるエネルギーこそが、私に必要なものだから。
私の人生は、もうごく単純だ。両親と妻を見送って、ころりと死ねばいい。それを実現するためには、身体を最後まで動かして、長生きする必要がありそうだ。

無駄で無意味な日本の核武装論

朝鮮半島情勢からか、日本の核武装とか言い出す人間が増えてきた。馬鹿げた妄想であることをここに示しておく。

核武装論でおかしいと思うのは、もはや核ミサイルを打ち込んで、市民を虐殺すること自体が世界経済にとって迷惑極まりない行為であるのに、いたずらにその恐怖を煽って、市民を支配しようとしていることだ。

世界中どの都市であっても核ミサイルをその頭上で炸裂させれば、十万人単位で死者がでる。東日本大震災のおよそ5倍の死者だ。こうなった途端、我が国だったら自衛隊にフル動員がかかり、在日米軍は臨戦態勢に入る。

航空路も、航路も全便停止し、米軍の管制下に入るだろう。経済活動も停止するので、発射した国もただではすまず、たちまち飢えてしまうだろう。すでにボーダレス経済は身近なものになっているから、どこまで影響が広がってしまうかわからない。

こんな核兵器は持っていてもしょうがないのではないか?もはや時代遅れの兵器なのではと思う。

核兵器を開発し、維持していくコストは莫大なものだが、そのコストは何ら利益を生まない。核保有国は、それで結構困っている。かろうじて機能しているのはミサイル戦略原潜位のものだろう。SLBMを抱えている戦略原潜は射程が延びて地球上のどこでもミサイルを叩きこめるようになっているので、メンテナンスしやすい近海にいるみたいである。

ちなみに、日本が核武装をするには、日米原子力協定を破棄することになり、日米安全保障条約も停止する。在日米軍は撤退するので、日本政府は急速に軍拡しないと北東アジアは一気に不安定になる。消費税は25パーセント位になると思う。

それでも核武装したいですか?

核兵器にも使用期限があり、定期的に生産ラインを稼働させる必要がある。旧ソ連の核兵器がソ連崩壊後、ゲリラへの流出が懸念されたが、何事もなかったのは、使える核兵器がなく、スクラップ同然だったのではないか?

簡易なRPGなんかは流出しまくって、地域紛争に使われましたがね。

北朝鮮の軍事行動への対抗策は難民キャンプ

まぁ、日本政府がいろいろ騒いでいるので、一応沈静化のために自分の思うところを書いておく。金正恩が暴発する最悪のシナリオはソウルを火の海にすることだ。これは準備含めても3日もあればできる。そういう風に北朝鮮軍は配備されているし、そのような準備をずっとしてきた。米軍が反撃するにしてもソウルが火の海になってからなので、これだけは防ぎようがない。こうなると日本に韓国の富裕層が日本に難民として押し寄せることは間違いない。そこで日本政府は、風雨に耐えうる難民キャンプを日本海側に作っておくことだ。北朝鮮が軍事行動を起こしてから入国する朝鮮半島からの来航者は全てここへ収容する。紛争終結までここから出さない。その固い決意を持って、難民キャンプを作っておく。日本国民の平和と安全のためにはやむをえない措置である。東日本大震災の仮設住宅のようなものを作っておくとよいだろう。朝鮮半島が動乱を起こしている間のみ、罹災民の生命を保証する。それだけで充分だし、それ自体が強い決意になる。わが国は紛争の当事国でない中立国なので、それ以上のことはしてはいけない。人道的な意味合いから、生命を保証する。その原則を貫くことである。その決意こそが、平和と安定をもたらすと思う。わが国は自然災害が多いのでそのための避難シェルターを作ること自体、なんら諸外国の疑念を抱くことではないし、いつでも取り掛かれる。使いもしない核武装を論じることよりもよほど有効な手段だ。
北朝鮮でクーデターが起きて、暴発的に核兵器が日本に発射されるかもしれない。という危惧をしているヒトが多いけれどもそういう不安はするだけ無駄だと思う。そのときはまともな発射管制をおこうなうことができないだろうし、おそらくミサイルはあさっての方向へ飛んでいく。核の起爆装置を北朝鮮軍が持っているかも怪しいので、単なる核廃棄物が降ってくるというような感じになるだろう。そうするとおなじみの「除染」作業をするはめになるだろう。せいぜいそんなところであろうと思う。
大事なのはソウル有事に備えることだろうし、韓国政府は一番それを恐れている。そこがパニックにならないようにしておくことが、日本政府として平和と安定に対してできることであろう。難民の管理であれば、陸上自衛隊の兵力で充分に可能である。いざとなったら銃を向ける覚悟も必要だけど。それが国際紛争というものです。
韓国民は北朝鮮軍が南進してきたら、武器を取って戦うか、後方の日本で安全を取るか、その二つの選択肢がとれれば、まあ日本としては役割を果たしたことになるだろう。

北朝鮮の今できることは4トンから5トンぐらいの荷物を、日本国内どこへでもぶつけることができるということだ。これでも充分迷惑であろうと思う。
大気圏内で核兵器を炸裂させることは、全地球レベルでのGPSや、いろんな観測網にダメージを与えるだけの迷惑行為だ。世界レベルでの損失は計り知れない。既に今の世界は、核兵器の炸裂を許さない社会になっている。冷戦時代の妄想で核兵器を炸裂させようとする老害は、暗殺すら許容されることだろう。核兵器は単なる無駄遣いになっているのだ。負の遺産といってもいい。
日本の大都市に核弾頭が炸裂すると、経済は一気に停滞し、朝鮮半島の経済にも多大な影響を与え、軍事的反攻以前に北朝鮮と韓国は崩壊してしまうのではないでしょうか?それぐらい日本の大都市が持つ経済効果ってデカいんです。気象、航海、航空路の管制がめちゃくちゃになると、これは大変なことになり、江戸時代に逆戻りします。台風なんかの観測もできなくなりますから、自然災害に対して脆弱になります。(人工衛星があっても地上のシステムがないと無意味)撃ったとたん自国が文字通り滅亡します。

いたづらにおびえることなく、わが国は朝鮮半島から出る大量の難民に対し、人道的配慮をしつつ国民を守るための管理をしなければならないだろう。これは必要不可欠なことだ。難民に扮して、軍事行動を行う工作員を断固として排除せねばならない。ひとたび戦争状態になったら、中立国としてそれを排除することは、独立国に認められた権利である。



沈められた介護職員、家族、利用者

外の世界に出てみると、本当に光にあふれている。素晴らしいケアのイベント、新しい介護のあり方、劇的な回復事例等々

そんな事例の陰で、罪の意識にさいなまれながら、ギリギリの状態で介護を続けている人たちがいる。彼らの多くは陽の目をみることもなく、苦しみながら生きている。そう、同じ太陽と月の下で生きているのだ。

そういう人たちを忘れたくないと思うのだ。

本当に苦しんでいる人たちに寄り添うには、そこまでいかないとその姿は見えてこない。もしかしたら単に施しを与えて自己満足にひたっているだけかも知れない。

厳しい介護現場で戦っている仲間たちへ

24時間365日介護をし続ける現場から離れてほぼ一年が過ぎた。

でもその6年半のキャリアは今の介護を支えてくれている。というよりは関わったすべてのご利用者から得られたものが、私を支えていると言ってもいい。
給料も出ないかも知れない、休みも取れないかも知れない。でもあなたの前には助けを必要としているご利用者様がいる。その方に自分が何ができるのか。そして何ができたのか。何ができなかったのか?
つまるところそれだけだったりする。職場の評価も、同僚の視線も何も関係ない。それを強く持てるかどうかで、介護の仕事を続けられるかどうかが決まる。現場を離れた人間には何も関係ない。上司であろうが、管理職であろうが、同じことである。あなたのケアだけが、あなた自身と、あなたの前にいるご利用者様を支えているのだ。

あなたの誠意にも関わらず、罵詈雑言を浴びることもあるだろう。でもそれは恐怖から来る悲鳴だ。よく観察して自分と相手の安全確保をして落ち着かせればいい。最低限自分の身を守ること。何に恐怖を感じているのかがわかれば、対処の道筋が見えてくる。

そこを乗り越えれば、そのご利用者様との信頼関係を一歩進めることができる。これは同僚や上司でも同じだ。だって同じ人間だもの。

待遇や体力的な問題から、介護現場を離れる時というのは必ず来ます。どんなに信頼関係ができたご利用者様であっても、それは同じ。たった今行った何気ないケアが最後になることだってあります。そう思うといい加減なケアはできないのではないかと思う。

無茶苦茶な業務量を押し付けられ、安全確保、生命維持が精一杯という現場であっても、問われるのは自分自身のケアであり、それだけが自分を支えてくれるし、活路を開くきっかけになるんです。だから1つだけでもいい。誰も見てなくてもいい。えこひいきでもいい。そのご利用者様を笑顔にしてあげて下さい。すべてはそこから始まります。

すべてはあなたの手のなかにあります。楽しいケアをつかみとるのはあなた自身です。