車のナンバープレートの見分け方

町中で走る車のナンバー、どんな意味あるかご存知でしょうか?軽自動車と普通自動車のナンバーの色が違うぐらいのことは皆様ご存知かと思うのですが、よく見るとかなりの情報が含まれています。それがわかると、その車がどんな経歴なのかだいたい判断が着くようになります。なかなか面白いです。

1)地名は陸運局を表している。ご当地ナンバー
ナンバーの上にある多摩とか、所沢とか、足立とかは、その地域を統括している陸運局になります。ご当地ナンバーといって、そのなかから、杉並とか世田谷とか変わったナンバーもありますが、法律上はあくまでそこに含まれる練馬陸運局のナンバーとなるようです。ご当地ナンバーは増加傾向にあり、富士山ナンバーとか、湘南ナンバーとか、川越ナンバーなんかもあります。

2)2桁ナンバーってなに?
それ以前は59とかの二桁だったのですが、大まかに1998年から1999年以後は日本じゅうで3桁化されていますので、二桁ナンバーの車はそれ以前からナンバーが変わっていない車であるという事ができます。二桁ナンバーの車はかなりのベテラン車ということができるわけです。

3)希望ナンバー
希望ナンバーは5ナンバーの場合530から始まっているようです。この数字がやたら進んでいる場合は人気の番号という事になります。11-22(いい夫婦)とか、88-88とかのゾロ目ナンバーなんかはなくなるのが早いようです。希望ナンバーがなかった頃には陸運局とコネのあるカーディラーなんかが、うまい事情報をとって、お客様の希望するナンバーを引っ張ってくることが、営業の腕の見せ所だったとか・・・。今では信じられない話です。

4)数字の違いはなんですか?
分類番号といいます。0ナンバーは建設用機械 1ナンバーはトラック、2ナンバーはバス、3ナンバーは2000cc以上で一定のサイズ以上の普通自動車 4ナンバーは小型貨物自動車、5ナンバーは2000cc以下の小型自動車 8ナンバーは改造車になります。9ナンバーは大型特殊車両になります。
6と7は今は番号が割り当てられていません。1998年以前の2桁ナンバー時代には、4ナンバーの小型貨物自動車と、5ナンバーの小型自動車のナンバーが足りなくなったために、6を小型貨物自動車に割り当て、7を小型自動車に割り当てた時代があります。つまり、4ナンバーと6ナンバーは同じであり、5ナンバーと7ナンバーは同じという事になります。更に遡ると軽自動車のナンバーも黄色ではなく6ナンバーだった時代もあります。7ナンバーは時々見かけますね。
今後はもしかすると自動運転車とかそういったものに、7ナンバーが割り当てられるかもしれないなあと私は考えています。
時々、明らかに5ナンバーの車が4ナンバーになっていることがありますが、これは違法ではありません。後ろの座席を取っ払い、貨物自動車として登録することで若干税金が安くなること狙ったものです。3ナンバーのベンツでこれをやると1ナンバーになります。今ではこのやり方はあまり推奨されないようですが・・・。

5)ひらがなに意味はあるの?
白いナンバーは
白地緑字(自家用) : さ・す・せ・そ・た・ち・つ・て・と・な・に・ぬ・ね・の・は・ひ・ふ・ほ・ま・み・む・め・も・や・ゆ・ら・り・る・ろ (29文字)
緑の事業用ナンバーは
緑地白字(事業用) : あ・い・う・え・か・き・く・け・こ・を(10文字)
レンタカー用 れ・わ(2文字)
が割り当てられています。他にも在日米軍や外交官ナンバーや皇室専用の特殊なナンバーが存在します。
ちなみに「お・し・へ・ん」は使われていません。
「お」は誤読を避けるため「を」とされており、「し」は死を連想させるため、「へ」は屁みたいだから、「ん」は発音がしづらいために避けられているようです。なので、50音のうち、41文字が使用されることになります。

6)番号は何通りぐらいあるの?
単純に考えると、1番から9999番まで9999通りあるようですが、「96-41」(苦しい)とかタブーとされる番号が200通りほどあるようで、9799通りぐらいになるようです。それにひらがなの41文字をかけると、大体一つの分類番号(例えば最初の多摩500とか)で考えてみると、9799×41文字=40万1759通りとなります。この番号を一つの陸運局が何年で消費するのか?ということが、その車の年代推定のカギになります。身近な多摩ナンバーは、多摩504の発行が2016年頃から始まっているので、多摩503は発行し尽くしたといっていいでしょう。地元の自動車業者は感覚的にこれを知っているはずです。希望ナンバーの場合は530から始まっているようですので、この推定方法は使えません。

まとめ
いかがでしたでしょうか?身近な車のナンバーがいろんな意味を持っていて、ある程度の年代推定が可能であるということなのです。特にご当地ナンバーなんかは見るのが楽しいです。希望ナンバーには、その車の所有者の想いが込められていますよ。道行く車のナンバーを、のんびり見てみるのも面白いのではないかと思います。



無法者の長い夜。

夜勤って長くて大変ですね。と言われることがよくあるんですが、感覚的には「時間が足りない」と思うことのほうが多かったです。なぜかというとやることがいっぱいあるからです。
まあ大体夜勤の流れというのはこんな感じです。
15:30〜16:00 日勤からの申し送り
16:00〜17:00 見回り、夕食の準備 夕刊なんかを持ってきて配る。この時に大体の様子を見ておくとスムーズ。
17:00〜19:00 夕食誘導、介助、服薬、口腔ケア 臥床介助
19:00〜21:00 眠前薬、一回目の巡視 場合によっては少し休憩できるときもある
21:00〜23:00 コール対応 排泄介助一回目
23:00〜01:00 種々の作業を行う(洗濯とか翌日の準備とか湯冷ましなんかも作っておくといい)
01:00〜03:00 一番静かな時間ではあるが、疲れも出てくる時間。記録なんかはこの時間でまとめておかないと間に合わない
03:00〜05:00 コール対応 排泄介助二回目 ここが最終防衛ライン。ここで大体夜勤の出来不出来が決まってしまう。
05:00〜07:00 嵐の起床介助。コール対応しつつ全員を起こしていく。
07:00〜09:00 早番到着。朝食介助をしてほぼ終了が見えてくる
09:00〜10:00 まあ見守りぐらいならしててもいいけどさ・・・。意識は朦朧としています。
一見余裕が見えるかもしれませんが、常にコール対応があるので、それに対しての構えを忘れることはできません。落っことしたら夜勤者の責任です。意外と危ないのがリーダークラスの夜勤。他に仕事を抱えていて、夜勤中にやろうとしてフロアを離れていることが多く、また誤魔化能力にも長けているので、一見発覚しませんが、後でえらいことになっていることもあります。私は意地でもフロアを離れることはしませんでした。
一番いやだったのは、残業だかなんだか知らないけどバカ大声を上げて事務所で盛り上がっている人たち。私は施設長だろうがなんだろうがそういう人がいたら注意しました。だってご利用者様が数メートル先で寝ようとしているのに馬鹿騒ぎで起こされてはたまらないからです。仕事が終わった解放感で盛り上がるのはよそでやってくれと言いたかったです。夜勤者はここからが本番なんだから・・・。それと同様に、夜勤明けに仕事を申し付ける人がまあ多いこと多いこと。二日酔い同然で意識が朦朧としてるんだから何言われてんだかわからん状態なのよ?そういう人達に日勤帯の業務を手伝わせるのはいい加減にしろと言いたくなりましたね。
夜勤明け残業がなければ回らない現場はどうにかして欲しいです。夜勤者は大抵の場合、全てのケアができる人が多いから、頼りにされるんでしょうけれど・・・。そんな延長戦は勘弁して欲しい・・・。なんてことをつい8ヶ月前までやってたんですなぁ。前日から延長戦が決まっていると、夜勤はとてもしんどくなります。朝までがんばろうってのが昼までになるわけで・・・。
こういう事態はほとんど明るみに出ません。わかっていて黙っているのはもっと悪質だと思います。夜勤なしとかいう求人を見ているともっとゲンナリします。そんな人しか来ないんでいつまでも夜勤がキツイんです。16時間の夜勤は楽ではないですけれど、きちんと体制が整っていれば、別にそれ自体が劣悪なわけではありません。昼夜逆転が放置され続けているとか、1時間に1回呼び続けることが日課になっている人とか、そういうことが何ら対策をされず放置されていることが問題なんです。最低限びしっと時間に終わっていれば、まあ何とかなるのですが。
現行の労働法にも問題があります。変形労働時間制においては一ヶ月176時間となっていればよく、その気になれば月12回の夜勤を定義することができます。一回の夜勤を14時間半とし、12回。1時間半をごまかしてしまえば万事解決という鬼のようなシフトを組んでも合法なのです。ああ、休憩時間をとったことにして実質的な拘束時間を増やす手だってありましたね。それで18時間拘束なんてザラです。場合によっては20時間拘束ぐらいになってたんじゃなかったじゃないでしょうか。
私は夜勤9回をやったことがあります。入、明、入、明、休、早、入、明、みたいなシフトになってとてもきつかったです。
まさに介護施設の夜は無法地帯なんです。毎日日本中の夜にこれが繰り返されていることをもっと知ってほしいと思います。



コール頻回の夜明け

高齢者介護をやっていると、訴えの多い方というのに遭遇することはよくある。Fさんもそんな一人だった。しょっちゅうしょっちゅうコールが鳴り、「痛い、布団を直して欲しい、トイレにいきたい」などなど大変だった覚えがある。でも私は好きだった。コール頻回にはいろんな原因があるが、やはり身体の不自由さから出てくるものがほとんどであろうと思う。
私はFさんが好きだったので、コール頻回でも、まあいつも同じように対応していた。なので
「あなたはいつも対応が変わらないねぇ」などとお褒めに預かることもあった。
とても頭は冴えておられる方で、いろんな話をしてくれた。写真が好きだったようで、お部屋にはたくさんの写真があり、出かけた先の話で花が咲いていた。
ある日夜勤を終えて、引き継ぎを終え、残りの記録を書いていた時だった。
その時、Fさんのコールが鳴った。行きたい気持ちもあったが、正直夜勤で疲れていたので、日勤に任せようと思った。しばらくコールがなって止まったので私は対応したのだと思い記録を書き続けていた。
・・・・でも、誰も行っていなかったのである・・・・。
状況としてはトイレから車椅子に乗り移ろうとして、ずり落ちていた。とりあえずトイレに座らせて、終わったあとにFさんがコールを鳴らした時にぶち切りして誰も行かなかったのであろう。
「これじゃあ、死んでても誰も気づかないんだね」
この言葉がとても私は辛かった・・・。その状況自体想像できていたのだから。自分がしっかりやっていたつもりなんて自信は消し飛んだ。夜勤が終わったことなどどうでもよくて自分がいって対応すればよかった。その時はそう思った。正直悔しかった。(夜勤明けが行かなければならなかったという事自体チームケアが崩壊してるが)
この日から、本気でケアに取り組むことにした。できる限りのことをやる。そこから約1年ぐらいだっただろうか。Fさんは息を引き取った。最後にやったケアはパット交換だったことを覚えている。なんかわからないけど、そうした。それが私にとっての別れの挨拶であったのかもしれない。
たしか私の夜勤入りの日の午前10時ごろだったと思う。私がいつものように夜勤で入ってくると、同僚から
「Fさん亡くなったよ」と伝えてもらった。あの時コール対応できなかったことを許してくれただろうか?

なかなか排泄がうまく行かなくて「また、(お腹に)だまされた」とかいってたっけかなぁ。
いつも一生懸命車椅子動かしてたっけ。寒がりで、布団はいつもモコモコになっていて、かける順番があるんだよね。
足さすったり、湯たんぽ入れたりしてたなぁ。少しは立てたけど、一生懸命手すりつかまってた。
お風呂は好きだったね。食パンは牛乳とコーヒーを混ぜて食べてた。あのセットを作るのが、キッチン担当の仕事。
歌を唄うのも好きだった。よく一生懸命歌詞カードめくってましたっけか。
夜間巡視に行くと、気配を察するのがうまくて、一回りして一番遠い場所辺りで呼ばれるのが定番だったなぁ。

Fさんのケアは、その後の私のケアの中核をなしていることは間違いない。



お風呂が焚けてない!!

新人介護職員だった私がやらかした思い出。このことを知っている人はあんまりいないと思うけれど。ショートスティの早番を始めたばかりのころ。私はミスをやらかしました。当時のショートスティはデイサービスとショートスティでお風呂を共有しておりまして、午前中はデイが入浴、午後はショートの入浴と決まっておりました。そこでショートスティの早番が、朝来たらお風呂のお湯を温めておくというルールになってましたが、スカタンだった私はそれをすっかり失念し、早番の作業に取り組んでおりました。
朝食介助も終わりほっと一息ついた8時半ごろでしたか・・・。デイの方から悲鳴が
「お風呂がたけていない!!、どーすんだ!!」
入浴予定はデイとショートあわせると30人ぐらいいたと思う。ショートはともかく、デイはその日のうちに入浴しなくてはいけない・・・・。とまあ大騒ぎに・・・・。
その当時の施設長以下全員パニックに・・・。あういう時ってわけがわからなくなりますね。何やらキッチンでお湯を沸かしてバケツリレーとかやってました。水の量が多いですから、おそらくは一回水を抜いて、沸かしながら入れたんではないかと思うのですが、デイの皆さまには本当にご迷惑をお掛けしました。
その騒ぎがはじまった時、途中で「あ、私だ」と思いましたが、その時は言えませんでした。
しかし、全てが終わってみんなが
「あーあ大変だった」とまあ多少和んだ時に
「実は・・・申し訳ありませんでした!!」と最敬礼して謝った時
みんな笑い泣きしておりました。あの時のなんとも言えないオチのような雰囲気は今でも時々思い出すことがあります。
でもまあ何とかしてみんなでご利用者様をお風呂に入れようとしていたということだったんだろうと思います。
当時の施設長は結構気性の激しい人だったんですが
「あんたは優しいからなあ、スィッチをひねるのがちょっと甘かったんや」というフォローで何事もなく納めてくださいました。
あの時の施設長以下ご迷惑をお掛けした皆さま、本当に申し訳ありませんでした。
教訓「スィッチの入れ忘れには気をつけましょう」
それ以来、私はお風呂のスィッチを入れるときにはわざわざ浴場までいって動いているのを確認するようになりましたとさ。



遅乗り運転のススメ

今日も今日とてマニュアル車を転がしているわけなんですが、職場のCVTのタントやラクティスに比べますと、一番の違いは車を転がす感覚なんだろうなぁと思います。どうしてもオートマばっかりの人って、アクセルで進めてブレーキで止めるとしかかんがえてないのかなぁと思います。実のところ車というのは惰性で転がります。一番良くわかるのは自転車に乗った時。常に自転車のペダルをこいでないと思うんです。坂道下るときなんかは「シャーッ」とやって進むでしょ?あの感覚がマニュアル車にはあります。厳密に言えばオートマでもNレンジに入れれば同じことができるんですが、これをやるとトランスミッションが熱をもってしまうらしいので、やらないほうがいいらしいです。
よく見てると、敷地内に入るときとか、歩道をまたぐ時の小さな段差を越えるときに、アクセル踏み過ぎな人が多いです。クリープじゃ駆動力が足りない時にガッとアクセル踏んで慌ててブレーキを踏む。そんな動作が目立ちます。これはおそらく車が惰性で転がることが意識の外にあるからじゃないかなぁと思うのです。
オートマでは意図的に駆動力をダイレクトには伝えず、若干クラッチが滑っているような感覚でスローなスピードを作ります。急にギアをつなぐとショックがでて危ないからです。アクセル踏んでから少しタイムラグをつけてあるんです。そ~っとアクセル踏んで動かないから、また踏みつけると急発進になると。
オートマにしろマニュアルにしろ、究極に遅いスピードを作る練習をすると運転はうまくなります。
マニュアル車の場合。アクセルを一定にするか、アイドリングでそーっとクラッチを切ってはつなぎ、切ってはつなぎの繰り返しとか、一旦走らせてニュートラルでブレーキを止まる寸前で緩めていくのもあり。
オートマの場合はやはり、クリープをブレーキで抑えるのが有効でしょう。止まる寸前のブレーキワーク。
実は言うとこの遅乗り運転は、アクセルワーク、ブレーキワーク、クラッチワークの基本だと思います。スピードが出ているかいないかの違いだけで、ペダルのふみ加減は同じです。微速前進、微速後退にこそ、運転のノウハウが含まれているんです。どこでも出来ますので、やらない手はないです。
ちなみにニュートラルでぶつけても、あまり傷は深くなりません。ナゼかというと反発力で弾き返されるからです。アクセル踏んだままぶつけると、力で押し付ける形になるので、ダメージが大きくなります。ニュートラルだと、大きめの石ころでも止まることがあります。
足で車をコントロールできるようになると、正直あまりしんどいとは思わなくなります。立って歩くのが面倒くさいといっているようなものですし・・・。繰り返すようですが、MTはエンストが怖いっていっても、所詮止まるだけでキーをひねれば同じ。少しでも走っていたらエンストすることはまずありえません。スピードが落ちてきたらスパっとクラッチを切る癖だけつけておけばいいのです。
再スタートできないのは単なる整備不良では・・・・。ATのほうが、ブレーキ外れた時の追突のほうがよっぽど怖いし気を使います。Pレンジにいちいち戻してもいいのですが、なんとなくブレーキかかっているのか不安になるし・・・。Nレンジでブレーキ踏むのがしっくりは来るのですけれど、そういう操作は推奨していないとのことだし・・・。そういう意味でオートマは渋滞の時につかれます!!(力説
オートマでも運転がうまい人はマニュアル車にすぐ乗れるようになると思います。やっていることは同じですから。私は逆にオートマになれるまでには少し時間を必要としました。でもまあ半年ぐらいなものです。ナゼかというとブレーキワークにクラッチワークが含まれていて、そこを理解してしまえば、あとはギヤチェンジのタイミングだけのこと。
オートマでもブレーキを踏めば自動的にタイヤとエンジンが切り離されているわけで・・・・。(そうしなければエンストしてます)CVTは特にマニュアル車っぽい挙動をしてます。エンジンのビビリ具合なんかは同じです。そこにクラッチペダルがないだけのことです。
あ、そうそう、マニュアル車で面白いのは、駐車場のような少し坂道になっている場所では反対にギアを入れておくと、クラッチ操作だけで前進後退を制御できたりします。どういうことかというと、例えば駐車場の奥が少し高くなっていて傾斜があるとします。コンビニなんかではよくあります。バックギアで侵入してクラッチを切るとニュートラルになって今度は前進します。坂道を下ってくるだけなんですが・・・。これをうまく使うと前進後退をギアを変えずに制御できるのです。
ただし、時々勘違いをして思わぬ動きをしちゃうこともありますが、慣れると楽です。コリントゲームみたいな感じとでもいいましょうか・・・。
オートマのほうが運転が楽。という事こそ、単なる思い込みなんじゃないかなぁ?
路面の傾斜や凹凸という情報がペダルを通じてダイレクトに伝わってくるほうが、運転しやすいと思うのだが。

白いフィアットムルティプラ



徴兵制について

徴兵制を復活させようとか言う政治家が時々出てきますが、正直申し上げて正しく徴兵制を理解しているとは思えないような人たちばかりだ。
徴兵制度
国民全員に国防の義務を課すということがどれだけ大変なことなのかサッパリわかっていないと思う。大日本帝国の徴兵制度を体験した人たちがすでにほとんど現役から退いており、その郷愁みたいなものに憧れを抱いているだけだろうと思う。たしかに大日本帝国は数百万とも言われる動員を実現したが、それは長い年月をかけて作り上げたものであり、一朝一夕にできたものではない。明治維新から一応の完成を見た日露戦争まで30年以上たっている。太平洋戦争の大動員までにまたさらに30年はかかっている。これだけの計画性を持った政策を持たなければ、到底徴兵制度など実現不可能だ。
そもそもナゼ徴兵制度が必要になったのか?それは戦争の形態として大量の歩兵を必要とする戦争だったからだ。それは第一次世界大戦でピークを迎える。日露戦争はその前哨戦のような働きをした。国家総力戦の扉を開いたのが日露戦争だったのだ。そのために国民全員に銃を配り、訓練を施すことが国防上必要になった。そうやって世界中の国々は、若者たちに銃をもたせる訓練に躍起になっていった。
第二次世界大戦ではその様相が変わってくる。航空機や軍艦の進歩によって、歩兵よりも兵器の大量生産能力が、国家の戦力となっていった。あらゆる物を総力で生産しなければ戦争には勝てなくなったのだ。その象徴的な例がアメリカ合衆国である。それなので徴兵制による訓練よりは、生産に振り向けないといけなくなった。そのモデルチェンジに日本は失敗した。歩兵を大量に養成する仕組みを変えることができなかったのだ。
なので徴兵制度を考える前に、どうやって国防を実現するかを考えないと、制度そのものが構築できないと思う。
経済的な意味での徴用ならば、よくわからない税金が海外へ流れることで実現している。社会保険料あり、思いやり予算あり、米国債あり。アメリカのよくわからない高い兵器を言い値で買わされているのもまあ安全保障料。ヤクザのみかじめみたいなもんであろう。



今日はラジオをもって出かけよう。

昨日はラジオつけたら西武=楽天戦のサヨナラ劇でずっとラジオの前から動けなかった。
こういうの久しぶりだなとは思う。
相変わらず身体が固いな。特に肩こりがひどい。セルフケアの重要性が増してきた。
スマホのパケットも制限がかかってしまったので、ちょっとネットの付き合い方を変えてみたいと思っている。
かんがえてみれば、スマホばかり見ているライフスタイルだった。それにつかれていたのかもしれない。
世の中にはもっといろんなものに溢れいるし、そういうものに背を向けて、スマホ依存症になっていたのだと思う。
たしかにまあ、インターネットを使ってお金を稼ぎたいとは思ってはいるけれど、それだからこそ、いろんな刺激を受けて自分を変化させて行かなければいけないのだとは思っている。

青いアクセラ



自分はスゴイんだという妄想「貧すれば鈍ず」

最近どうにも「自分はスゴイんだ」という妄想が湧き出ることがあり、少し閉口している。それは単に人に縋りたいだけなのか、何なのかわからないが。とにかく妙な精神状態である。それに絶望をくれてやることでどうにか精神状態を保っているような気もする。何とかしなくてはという考え方自体が停滞を生むという矛盾が続いていて、結果的に何も進まない。進まないという思い込み自体が自己評価すら難しくしている。強いていえば「貧すれば鈍ず」なのであるが・・・。
アクセルとブレーキを一度に踏んで、前に進まないような二律背反。
やはり、苦しみがそういう形になって現れているのではないかと思っている。転んだら、土を掴んで立ち上がるのは自分自身なのだ。それはよくわかっている。
ややこしい状態を、ややこしいままとりあえず、まな板においてみる。ぶった切って鍋に放り込む。物事は簡単にするのがなかなか難しいものである。様々な身体的苦痛が、心理状態になって現れ、安全のためロックがかかっていることは確かだ。だから前に進めない。まあ苦しみにもがくこと自体が実は、今の仕事に役だっていなくはないのだけれども。
大きく変化してく時代と自分に、戸惑っていて、変化自体をやめようとしているのかもしれない。そこには潜在的恐怖がある。
森田療法の臥褥期を脱しつつあるのかもしれない。などと思う。不愉快感こそが次へのステップであるのかもしれない。そこへ向かい、ごまかしていたことに直面することが、まずは第一歩なのではあるまいか。
呼吸を整えて、まずは身体をほぐしてみよう。
少なくとも今の自分には必要としてくれる人がいる。そこに活路を見出すことはできるのではないか。

赤いインプレッサ



北朝鮮の核とは?

朝鮮半島情勢が緊迫しているので、簡単におさらいをしておこうと思う。北朝鮮の核というのは中国人民解放軍の瀋陽軍区のものである。北朝鮮の軍事行動は基本的にここの命令なくしては実行できない仕組みになっている。日本の自衛隊が在日米軍の指揮下に入っていることと同じだ。
であれば、国家主席たる習近平が、人民解放軍瀋陽軍区に命令すれば終わりのように見えるがそうは行かない。瀋陽軍区自体が、核兵器をもって独立性を強めているからだ。北朝鮮の核というのは、東京とソウルにばかり向いているんじゃなくて、北京にも向いているのである。ここらへん理解しないと、北朝鮮の動きは見えない。金正恩はそこから脱却しようと必死だが、なかなかうまく行っていない。北朝鮮単体では大したことはできない。せいぜいソウルを火の海にすることぐらいだろうか。

朝鮮半島動乱ということになれば、瀋陽軍区が歩兵を送り込み、朝鮮半島を再占領するのではないか。そのついでに言うコトを聞かない金正恩を排除し、都合のいい人間を主席に据えるだろう。
しかし、朝鮮半島には動乱を起こす要素があまりない。利権もあまりないし、資源もない。米軍としても血を流す意味がないので、長距離弾道弾により、派手な花火で済ませる気ではないか。無人兵器のテストといったところだろうか。
とりあえずは習近平以下の政府がどこまで瀋陽軍区を説得できるのかというところだろうか。形式上の建前をたてて、事実上の独立を勝ち取るつもりが瀋陽軍区にあるのかもしれない。軍閥化は中国の歴史をよく知る人からすれば、2000年以上前から繰り返されてきたパターンではあるけれど。
北朝鮮が核ミサイルを発射しようにも制御機構は瀋陽軍区が握っているのではないか?
日本政府は非公式に打診してもいいかもしれない。
確かにレアメタルは存在するのだけれど、それは情報通信機器などに使用されるものなので、中国自体その製造技術をもつか、輸出をしないことには富を産まないので軍事的な緊張が高まっていると先進国に売れない。それには平和が必要になる。ここに解決策があるのかもしれない。

スズキ-スイフトスポーツ



トヨタ タウンエースバン GL

タウンエースもいいかなと思っている。ガソリンの場合、ボンゴバンよりは燃費はいいようである。コラムシフトみたいな感じだけど、シフトフィールはどうなのかなぁ?
あまり中古車として出回ってないみたいなので、程度のいいものがでたら即買った方がいいかも。
中古車をひたすらテストをして、必要な人にとどけられたら楽しいかも。
それにはやはり、それなりの広さの土地が必要だよなぁ。どっかに百坪位ないかなぁ?

平成22年トヨタ タウンエースバン GL