論語-ビギナーズ・クラシックス中国の古典-加持伸行

論語は難しいかも?と思っていたらそうでもない。実に論語は愉快だ。孔子とその弟子たちのやりとりは実に人間的である。
漢文のリズム感がとても心地よい。漢文というのは、アジアにおけるラテン語みたいな働きをしていて、特に日本語に強い影響力を与えている。
孔子と弟子たちの有名な問答が漢文のリズムですらすらと入っていく。アジアはやはり、漢字文化圏なのだ。

この車は論語みたいだな。
japanese
2006-平成18年式式クラウン-フェンダーミラー-黒

English
2004-Crown-Black



中国皇帝列伝-守成編-守屋洋-徳間文庫

さて、今日より路線を変更してみます。一日一冊を目標に頑張ってみます。まだまだ執筆中(笑)

うーむ、トヨタのヴィッツMTもいいな。というふうにさり気なく中古車を入れてみるかね。

Engilsh
Toyota vitz

japan
トヨタヴィッツ
そう言えば、MTのvitzに乗って女性上司がいましたっけ。多分50才以上だったと思う。度胸のある上司だった。



Nissan March 5MT

Hikage, Tokigawa-machi, Hiki-gun, Saitama 250 ベヘドオート a few far, but may be interesting even if I go to value march by way of hiking.

Nissan March 2007
A manual of the pink march. I look really happy. I think it to be most suitable as a person of introduction to the car Run quite lightly; and very recommended 1,200cc. It is recommended that the driving of the car with a manual transmission begins at first being a car of such under power.
The driving does not become good when I get into a high-power car suddenly. The high-powered car is because Gere can advance anywhere. After all such a car is good to learn how you introduce engine power into the tire efficiently. The fun of the clutch work has in particular better car with the direct feeling.
Heisei, Fukuoka 11 years type red march
This may be pretty again, too. It is slightly old, but it may be pleasant to roll it in downright March.
Is this good for an exercise car? Is it the problem of the course afterward?
It is 2,200 yen including a car carrier in Tama course . It seems to be 3,000 yen by the rental by car. The rental car is like the automatic car. Then maybe rational as for valuing march, and lending it for around 3,000 yen. When pickup includes it, it is a feeling. If I value march and can maintain it, I want to invite you.
Because the tire is 165/70R14, so seems to be cheap.
It is like around 25,000 yen by four exchange if I check it in automatic Bucks . It seems to cost disposal costs separately.
Mileage of the march exceeds liter 20 kilos despite a catalogue level. It is a very advantageous eco-car.
Liter around 15 kilos seems to do its best somehow.
It is insurance and a parking fee afterward



日産マーチのマニュアル車

画像はWikipediaより参照

平成19年式マーチ
埼玉県比企郡ときがわ町日影250ベヘドオート とちょっと遠いですが、ハイキングがてらマーチを買いに行っても面白いかも知れません。
ピンクのマーチのマニュアル。実に楽しそうです。このぐらいが入門者として最適であると思います。結構軽快に走りますし、なかなかおすすめの1200cc。マニュアル車の運転はまずはこういうアンダーパワーの車で始めるのがお勧めです。
いきなりハイパワーの車に乗ってしまうと、運転はうまくなりません。なぜかというとパワーがある車はギアがどこでも進んでいくことができるからです。エンジンパワーをいかに効率よくタイヤに伝えるのかということを学ぶには、やはりこういう車がいいんです。特にクラッチワークの面白さは、ダイレクト感のある車のほうがいいです。
福岡平成11年式赤いマーチ
これもまたかわいくていいですね。ちょっと古いですが真っ赤なマーチで転がすのも楽しいかも知れません。
練習車にはこれがいいかなぁ。あとはコースの問題かなぁ?
多摩コースでは自動車持ち込みで2200円。車をレンタルでは3000円になるみたいです。レンタル車はオートマのようですけれど。そうするとマーチを買って、3000円ぐらいで貸すことは合理的かもなぁ。送迎込みって感じで。マーチを買って維持できたらどなたか誘ってみたいものです。
タイヤは165/70R14なので、まあ安いみたいです。
オートバックスで調べてみたら4本交換で2万5000円ぐらいのようです。別途処分費がかかるようではありますが。
マーチの燃費おお、カタログ値とはいえリッター20キロ越えるんだ。なかなかお得なエコカーであります。
リッター15キロぐらいはなんとか頑張ってくれそうです。
あとは、保険と駐車場代です。



経管栄養の介護

最近、過去の介護経験を思い出すことが出てきた。
ふと思い出したのは経管栄養の方の介護だ。
実は言うと介護職員は経管栄養の方の介護でできることはかなり限られる。
管がついた部分から水分や、栄養分を補給することは医療行為であり、看護師にしかできない。
だから、介護職員にできるのは、体位交換と排泄介助、入浴、更衣、バイタルチェック位なものである。
私はここから身体介助、とくに排泄介助の基礎を学んだ。
胃ロウから栄養が補給され、排泄されるまでの時間間隔なんかは今で使っている。
胃ロウの人たちをみて曰く、医療資源や税金の無駄使いだと。入口論としては正しいが、今生きているということを評価して欲しい。みんな一生懸命生きている。
そもそも胃ロウというのは嚥下機能が低下したときに一時的にバイパスをつくって、栄養分を補給するためのものである。嚥下機能を回復させる訓練をして、胃ロウを外せるのが理想だ。しかし、現実的には高齢者の場合難しいことも多い。
だが口腔への刺激が無意味な訳ではなく、嚥下機能が回復とまではいかなくても唾液を循環させる位のレベルには、なんとか持っていくことができると思う。現実にも何人かそういう人をみている。
人間の身体は結構融通無碍な所があり、微細な細胞レベルでうまいことやるのかも知れない。
声を出してもらうことは嚥下機能の回復にとても重要な要素である。胃ロウの方が声を出したらチャンスかもしれない。
味のするもので口腔を刺激するのもよいだろう。できることは結構あると思う。決して焦らないことも大事。時間はたっぷりあると思って粘り強くやるしかない。



米内光政、山本五十六、井上成美

なぜ大日本帝国海軍はアメリカとの戦争に踏み切ったのか?という問いかけの一つの答えが、この三人にある。
ごく単純に国力比からいえば、大日本帝国がアメリカ合衆国に戦争を挑んでも勝利することは不可能だ。常備戦力は70%以下、アメリカ海軍を決戦で全滅させても、その気になればアメリカはもうワンセット戦争しながら艦隊を再建することが可能だ。
大日本帝国は、戦争前に作った艦隊が全滅すれば、それでもうおしまいである。
実際の太平洋戦争においてもそのような経緯をたどった。航空戦力で艦隊の劣勢を補うことはある程度できたものの、アメリカ側がそれを上回る航空戦力を繰り出したため、対抗することは不可能となり、大日本帝国は敗北した。
このことを米内光政、山本五十六、井上成美はよくわかっていた。アメリカ、イギリスに対抗するために、大日本帝国、ナチスドイツ、イタリアと同盟を結んだが、この三人はこの三国同盟を反共産主義の協定にとどめることにその全力を注いだ。そのため、帝国陸軍の好戦派をバックにした右翼団体からテロの標的になっていた。山本五十六はこの時期遺書を書いている。
米内光政海軍大臣、山本五十六次官、井上成美軍務局長が、そのポストを去ったとき、大日本帝国海軍は、アメリカとの戦争の道を歩みはじめたといえる。
山本五十六が、もっとも長く連合艦隊司令長官を勤めたのは、テロの危険から山本五十六を守るためであった。連合艦隊の旗艦にいれば、テロリストによる暗殺は不可能だ。乗組員一人一人に厳重なチェックをすることができるから。
でも山本五十六は馴染みの芸者を連合艦隊の旗艦に招待してた気もする。いかにも山本五十六らしいが。



The reason why the reason youth whom a youth does not go to for election

The reason why the reason youth whom a youth does not go to for election does not go for election is really simple. This is because it is meaningless even if I do not go even if I go. An opinion is not reflected even if I go for election, and an opinion is not reflected if I do not go. The one that does not reach if both are the same becomes better.
I was able to insist by violence once. One of a foreign country and a certain famous investor say, “the Japanese youth should attack the Prime Minister’s office and the Diet with Kalashnikov AK47 gun”. Then I go the foreign country.
It is said that the violence is not good. But it only forbade violence towards the outside, and violence for oneself is noninterference. Therefore quiet violence rages by dying by oneself. Everybody is looking away in this. It is silent terrorism that merely dies calmly without the youth not producing it, and using it. The terror becomes the uneasiness of the old age and may be reflected?
The Japanese dies orderly. It thinks that a suicide is 30,000 people that probably the processing capacity of the police will be to there. I am handled as an unnatural death other than it. Little decrease seems to enter, but it seems to be reliable that death beyond the capacity cost of the administrative ability exists. We Japanese fights by a civil war called (it will be 25 years of them) for “lost 20 years”.
The main cause is a financial difficulty. Because I am made to buy enormous credit, and it comes back to, anticipating it is zero almost to support American political system, it is before it hits a financial difficulty that it is. I lend the money and do not come home, and firewood is the same as what was sent to. President Obama seemed to say US Treasury once that I paid the difference. I think that it was one judgment in its own right. Will it be the same as the one which there is not if it is a debt not to come back virtually? I think that I would do the suggestion. But I seemed to choose the way which the Japanese Government administration official which I thought to be given up refused it, and clung to the United States among the United States. An American husband to use violence on and a wife called Japan which is reliant in it. Till when does this repeated diagram continue?

The Japanese democracy system hardly has only small power. It is almost something like accessories in the courtesy. The real policymaking is decided by the collusion of closed vested rights people. It may be, so to speak, said that it is invisible dictatorship.
In the first place it is not allowed for many people to participate in politics. I take form of the universal suffrage, but am limited election substantially. Without enormous funds and the connection of the vested rights person, it is not allowed even to participate in politics.
To make the structure which all the nations vote for is possible, but does not do even it. This is because the one is convenient for the present man of power. Because I say the improvement of the turnout, but it is only said, “I follow oneself” substantially.
I hold on to small power, and therefore peace and a living, the thing not to want to see are what it does not watch, and it is the present conditions of present Japan much more that continue postponing. I may think that I fall rather. But I think that the truth may have already fallen in a shadow.
I strongly feel that I am similar before some Soviet Union collapse.
I call at the top of my voice for true courage here and should step forward to the one step.


若者が選挙に行かない理由

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若者が選挙に行かない理由は実に単純だ。行っても行かなくても無意味だからである。選挙にいっても意見が反映されないし、行かなければ意見が反映されない。どっちも同じなら行かないほうがマシとなる。
かつては暴力によって主張することもできた。外国のとある有名な投資家は「日本の若者はカラシニコフAK47銃をもって首相官邸と国会を襲うべきだ」と言っている。外国ならそうなるといっているのだ。
暴力は良くないという。でもそれは外に向かっての暴力を禁じただけで、自分に対する暴力は野放しだ。だから自ら死んでいくことで、静かな暴力が猛威を振るっている。これには皆目を背けたままである。若者は生産せず、消費もせず、ただ静かに死んでいくサイレントテロだ。その恐ろしさが老後の不安とやらになって反映されているのではないか?
日本人は整然と死んでいっている。自殺者が3万人なのは、警察の処理能力が多分そこまでなのだろうと思う。それ以外は変死扱い。少し減って入るようだが、行政能力のキャパシティーを越えた死が存在していることは確かのようだ。私達日本人は「失われた20年」(そのうち25年になるだろう)という内戦を戦っている。
主とした原因は財政難にある。米国の政治体制を支えるために、膨大な債権を買わされてそれが帰ってくる見込みはほとんどゼロなので、財政難になるのもあたり前である。お金を貸して返ってこないのでは、まき上げられたのと同じ。オバマ大統領は一回米国債を精算してくれと言ってきたらしい。それはそれでひとつの見識だったと思う。事実上返ってこない借金ならばないのと同じでしょう?という提案をしてきたのだろうと思います。でも米国から見放されると思った日本政府当局者はそれを拒否して米国にすがりつく道を選んだようだ。暴力をふるう米国の夫と、それにすがる日本という妻。この繰り返された図式はいつまで続くんだろうか?

日本の民主主義システムはとても小さな力しか持っていない。ほとんど儀礼上のアクセサリーのようなものだ。実際の政策決定は非公開の既得権者たちの談合で決まる。いわば見えない独裁政治といっていい。
多くの人たちは政治に参加することをそもそも許されていない。普通選挙の形をとっているが実質上は制限選挙だ。膨大な資金と既得権者のコネクションがなければ、政治に参加することさえ許されない。
国民全員が投票する仕組みを作ること自体は可能だが、それすらやっていない。そのほうが今の権力者にとって都合がいいからに他ならない。投票率の向上などといっているが、実質的には「自分たちに従え」といっているだけだから。
小さな権力にしがみつき、そこで安穏と暮らし、見たくもないものは見ないことで、ずっと先送りをし続けているのが、今の日本の現状だ。いっそのこと滅びてしまえと思うことさえある。でも本当はすでにシャドウで滅びているのかも知れないなと思う。
どこかソビエト連邦崩壊前に似ている気がしてならない。
ここで私は本当の勇気を振り絞って一歩を踏み出さないといけないな。



English private supplementary school of the Admiral Shigeyoshi Inoue

The image from Wikipedia.
Japanese site
Narumi Inoue
While I do not know it and do not know it, I feel like having arrived at this English private supplementary school. I think that I will say such a thing if an image comes true. Specifically, you should be able to read Wikipedia, but think to easily talk about General Shigeyoshi Inoue.
It was an officer of the Great Japanese Empire navy, and the judgment was very splendid. I know English, Italian, German, French and am the one that was helpful as a diplomat enough. Of those days it can be right said that is a top elite.
I continued objecting to war with the United States determinedly and have been about to be murdered. The possibility that terrorism by the right wing was sacrificed is a certain person very much. Judging from the strength of a nation, the war to U.S. is the person who continued saying impossibility extremely simply.
I make a combination with famous Isoroku Yamamoto and am the person who contributed to naval aviation force upbringing. If there are not these two people, I think that probably the Zero fighter was not in use.
After all the notable contents of this person intend to be a story in the days of the Principal of Naval Academy. Narumi Inoue saw a point of the Pacific War. I understood that it ended in defeat as navy official. However, students of the naval academy must send him out as a soldier. I think that these pains would be left in him all the time. Therefore Inoue was going to make the naval officer of one’s eidolon thoroughly.
A rejection campaign of the foreign language happened in the wartime concerning a bottom, and even the school in the military was no exception, and the English education of Naval Academy was going to be abolished, too. However, Inoue objected decidedly. When “the naval officers who could speak only a native language were worthless ,” I thundered against you and did not stop English education, general education determinedly. At that time at all of the criticism some said. It will not be general education, English in emergency, the wartime. This is because the trend that I make the soldier who is useful for a war quickly and send spread in Japan. It thinks that serious courage would say to object there.
It becomes after the war, and it is after to understand this. Naval academy students who survived are amazed. It became after the war and came to be looked coldly on so far though I was treated well as an egg of the top elite. It will be awkward that there was the purge from public service if I eat it in a moment. But naval academy students did not lose a pride. As key person of the postwar revival, I raised many companies and I did various things and revived Japan. Ironically, I may consider that an excellent talented person was freed by a purge from public service.
The faint good feeling of the nation for the navy comes from such a place. I may hit the existence of the naval officer in an unexpected place when I watch the history of the company. A scholar, a researcher seem to have many it.
Shigeyoshi Inoue biography publication society – Naval Academy Era
I get on this in detail.
Inoue was going to make a gentleman. The gentleman who survives the severe times. I feel intense fighting spirit here.
If appear in the world after the war; of some service thought that might live, but it might be how to get responsibility for him that opened the English private supplementary school in the similary, the poverty in it. It was not the navy in a country to have saved his poverty after all either and was instructors who were a student and the subordinate of geishas and naval academy students. And it was the wife who married again. I think it to be popular man. It was Inoue known as a straitlaced person, but seemed to be a type to have a good feeling for a woman.
It seemed to have been an Italian resident military officer, would you touch it there to watch the paste which was Latin unexpectedly? I thought with disgust. A short account seemed to be able to play the guitar and the piano. It seemed to be a very skillful person.



井上成美大将の英語塾

画像はWikipediaより。
井上成美
私は知らず知らずのうちに、この英語塾にたどり着いたような気がする。イメージが実現するとしたらこういうことを言うのだろうと思う。詳しくはWikipediaを読んでいただけると良いが、簡単に井上成美大将について語っておこうと思う。
大日本帝国海軍の軍人であり、その見識はとても素晴らしいものでした。英語、イタリア語、ドイツ語、フランス語に通じており、外交官としても十分役立った方です。当時のまさにトップエリートと言っていい。
米国との戦争に断固として反対し続け、殺されかかったこともあります。右翼によるテロの犠牲になった可能性も大いにあるひとである。ごく単純に国力からいって対米戦は不可能。という事を言い続けた人でもある。
有名な山本五十六とコンビを組んで、海軍の航空戦力育成に辣腕を振るった人物です。この二人がいなかったら、多分零戦も実用化しなかったと思う。
この人の特筆すべき内容はやはり、海軍兵学校校長の頃の話であろうと思う。井上成美は太平洋戦争の先が見えていた。敗戦に終わることを海軍高官としてわかっていた。しかし、兵学校の生徒たちは戦士として送り出さねばならない。この苦しみがずっと彼の中に残っていただろうと思うのだ。だから井上は徹底して自分の理想像の海軍士官を作ろうとした。
戦時下ということで外国語の排斥運動が起こり、軍の学校と言えども例外ではなく、海軍兵学校の英語教育も廃止されようとした。しかし、井上は断固反対した。「自国語しか話せない海軍士官など役に立たない」と一喝し、断固として英語教育、普通学をやめなかった。この当時はとても批判の声があった。非常時、戦時に普通学、英語でもあるまい。戦に役に立つ兵隊をいち早く作って送るのだという風潮が日本中に蔓延していたからだ。そこに反対するのは余程の勇気が言っただろうと思う。
このことがわかるのは戦後になってからだ。生き残った兵学校生徒たちは愕然とする。今までトップエリートの卵として優遇されていたのに、戦後になって、白い目で見られるようになったのだ。公職追放もあったし、たちまち食うに困ることになった。でも兵学校生徒たちは誇りを失わなかった。戦後の復興のキーパーソンとして、多くの企業を起こし、いろいろな事をやって日本を復興させたのである。皮肉なことに公職追放によって優秀な人材が解放されたと見ることもできるだろう。
海軍に対する国民のほのかな好感はこういうところからも来ている。企業の歴史などを見ていますと意外なところで海軍士官の存在にぶち当たることがある。学者、研究者などにも多いようだ。
井上成美伝記刊行会-海軍兵学校時代
こちらにも詳しくのっている。
井上はジェントルマンを作ろうとしたのだ。厳しい時代を生き抜くジェントルマンを。ここに激しい闘志を感じる。
戦後世に出ればそれなりの待遇の生きていく事はできただろうと思うのだが、それを潔しとせず、困窮の中で英語塾を開いたのも、彼なりの責任のとり方だったのかもしれない。彼の困窮を救ったのは結局国でも海軍でもなく、芸者たちと、兵学校生徒たちの教え子と部下だった教官たちだった。そして再婚した奥さんだった。モテる男っていうのはこういうことなんだなァと思う。堅物で通っていた井上だが、女性に対して好感を持たれるタイプだったようだ。
イタリア駐在武官だったこともあるようだけど、そこで案外ラテンなノリをみにつけていたのだろうか?苦々しくは思っていたけれど。ギターとピアノをひと通り弾けたようです。とても器用な方だったみたいです。
一枚の進級祝い葉書
お孫さんの丸田研一さんの本も読んでみたいなぁ。

井上成美とは?
こちらもよくまとまっていると思います。